【こんな映画でした】109.[ハンナ]
2018年 3月26日 (月曜) [ハンナ](2011年 HANNA 111分 アメリカ)
ジョー・ライト監督作品。これもケイト・ブランシェットの出演映画ということで。この作品での主役は当時おそらく16歳くらいのシアーシャ・ローナン。観ていると、どんどん魅力的に見えるようになっていった。
内容的にはCIAやスパイが出てくるもので、ハンナを人間殺人兵器に仕立てるための研究であった、とする。ストーリー的には陳腐かもしれないが、そのアクションはついつい見入ってしまう。中味がどうであれ、俳優で見せてしまう、という映画もあるものだと実感した。そう考えれば、そのような俳優は他にも思い当たる。
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2018年 3月29日 (木曜) 今度は監督による音声解説版を観る。二度目で気がついたことが、三点ほど。まず一度目も違和感を感じたのは、いよいよハンナが父親(エリック・バナ)と別れる日、父親がスーツ姿で夜の雪の中へ出て行くシーン。コートを着用してないと寒いのではないか、とふと思った。案の定、監督は他のスタッフのコート着用の提案を退けてあのようにしたとのこと。失敗を認めて、その担当者に謝っていた。
二点目はうっすらと違和感を感じたが、それがなぜなのかは分からなかったが、二度目で分かった。そのシーンはハンナとソフィー(ジェシカ・バーデン、撮影当時18歳)が夜テントの中で一緒に寝ているときに話をするところ。友情が生まれる良いシーン。二人の顔のアップを交互に映し出す。
ところが違和感のもとは、その顔の向きであった。二人ともアップの顔は身体の左側面を下にして話しているのだ。本当は向き合って話しているのに(手前にソフィーの頭があり、その向こうにハンナの顔があるシーンがあるから間違いない)。それは別として、ここでのハンナによるキスシーンは美しい。
この私が気にした点については、監督は何も言わなかった。気がついてないとは思わないが。ただ私たちに見せる映像としては、交互に顔の向きが変わると煩わしいこととなっただろう。そういうことへの配慮と理解しておこう。
三点目は、ラストシーン。マリッサ役のケイト・ブランシェットとハンナの対決シーン。一度目で少し違和感を感じたけれど、そのあとすぐに大団円になるので、曖昧なままだった。二度目で、やはりおかしいことに気がついた。
他のシーンでも結構、いきなり飛んでしまうことはあった。しかしここでは、マリッサが倒れているはずのところを通過して、その奥のトンネル内にハンナは向かうのだ。そして手負いのマリッサの姿は影も形もない。
その暗いトンネル内に鹿がさまよい出てきて、ハンナがそれを見る。これはオープニングシーンの繰り返しだとすぐに分かる。そしてその後の伏線にもなっている。
鹿が立ち去った後、ハンナはトンネル内の階段を上り、急転直下、マリッサに追い掛けられるシーンに転換してしまう。いよいよ追い詰められたハンナに、マリッサが笑みを浮かべた瞬間、彼女は足を滑らせジェットコースターを転落していく。腹にはハンナから受けた矢を刺したまま。
転落した瀕死のマリッサに、ハンナはオープニングと同じセリフを口にして拳銃でとどめを刺す。その瞬間、題字のハンナがアルファベットで表示され、終わる。
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あと舞台については、最初のフィンランドからモロッコ、スペイン・フランス、そして最終のドイツ(ベルリン)へと。モロッコの地元の人たちや、ロマ族の人たちの歌と踊りも。
マリッサが家で歯磨きをするシーンが、二度出てくるのも面白い。監督は白い歯が好きなアメリカ人を皮肉っている、と。いくつかのシーンでは、過去の監督の映画作品に対するオマージュ的に、真似をしている、と言っていた。やはり過去の作品を勉強しているものだ。