【こんな映画でした】618.[仮面/ペルソナ]
2020年 2月28日 (金曜) [仮面/ペルソナ](1966年 PERSONA スウェーデン 82分)
イングマール・ベルイマン監督作品。何とも奇妙な不可解なオープニング。タイトルが出てくるまでに6分。そしてそのあと出演者などのテロップの間にもごく短いカットが挿入されているが、それが何か、どんな意味があるのか分からない。
一見、何の関係があるのか分からない。伏線ということになるか。最後まで観て、そのある種、不愉快なシーンとしてしか映像化し得ないのだろうと思った。
人間はたしかに仮面をかぶって生きている。その時々に、相手により様々な仮面をかぶって。しかし、それは自然ではなく、やはりどこか無理をしているものだ。それが積もり積もってどこかで爆発する。あるいは暴露される。
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ここでは二人の女性のやりとりがメイン。といっても話すのは看護婦であるアルマ(ビビ・アンデショーン)だけで、女優エリーサベット(リヴ・ウルマン)は一言も発しない。失語症になっているということで。
この失語症の女優の面倒をみるためにアルマがいる。二人で転地療養先、海の近くで何日かを過ごす。人は一人でないかぎり、一緒にいる相手に話しかけるものだ。いや、話したいと思うものだろう。しかし、表情・仕種での応えはあっても、声としては発せられない。
アルマは自分のこと、恋人や過去のアバンチュールを酔いのせいもあってか、いろいろと話す。しかし、もちろん声での反応はない。遂にアルマはその状態に我慢できなくなり、二人の間が険悪になる。と、ストーリーは続く。
そして終わりに近づいた頃、ようやくアルマの言うのに続いて、エリーサベットがつぶやくように発語する。その言葉は「無」。これで目的が達せられたのかどうか分からないが、ともかくエリーサベットはトランクを荷造りする。
シーンとしてはないが、彼女はそのまま帰って行ったのだろう。車かバスで。続いてアルマがその家の後片付けをして、バスに乗って帰って行く。