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【こんな映画でした】986.[好奇心]
2023年10月24日(火曜) [好奇心](1971年 LE SOUFFLE AU COEUR MURMUR OF THE HEART フランス/イタリア 118分)
ルイ・マル監督作品。母親のイタリア人をレア・マッセリ(撮影当時36歳)、[情事](1960)・[高校教師](1972)で観ているか。三男ローレンをブルノワ・フェルレー(撮影当時15歳)。
「MURMUR」は、「【名】つぶやき、不平の声、かすかな音、ブツブツ言う声、ささやき、《医》(心)雑音」、ということで「心のつぶやき・囁き」ということか。つまり「好奇心」。
『マル・オン・マル ルイ・マル、自作を語る』(フィリップ・フレンチ編 キネマ旬報社 1993年)によると、やはり自分自身の体験・経験と知人の例を参考にしているようだ。「近親相姦」などという凄まじい日本語が厄介である。ここでの母子、母親と息子の関係は、外面的にはそのように即断されるかもしれないが、その実ある意味、親子間の至高の愛情の表現形態であると私は思う。
下世話な話だが、近親相姦などと言うと現実に女性としての母親の身体に、息子がその性器を挿入するという風に解釈されてしまうだろう。ここでは、そうではないと思う。言うなればともに裸、もしくはそれに近い形で抱き合う・抱擁し合うということではないか。
ラストシーンも、もうこれ以上の解決策はないと思われるやり方であった。上手いものだ。とまれ思春期の男の子というもののありのままの「生態」を、ティピカルに描いていると言えよう。