【こんな映画でした】906.[英雄の条件]
2022年11月28日 (月曜) [英雄の条件](2000年 RULES OF ENGAGEMENT アメリカ 127分)
ウィリアム・フリードキン監督作品。「RULES OF ENGAGEMENT」とは、「交戦規則」とのこと。たしかにこの題では、日本では受けないか。主人公のチルダーズ大佐を英雄と作中で言っているが、あまりシックリこない。
それはともかくこの映画は、上手く作られている。アメリカ人からしたらその「海兵隊」というものを賛美するものであり、彼らの自尊心・愛国心をくすぐるものだ。そうしないと映画としてヒットしないわけだから。
私の見方はシリアスで、途轍もない国家悪・政治と、それを体現するためにとことん使われて、命を失う兵士たちのことを考えてしまう。所詮は利用されるだけで、政治的にまずいことがあれば、たちまちスケープゴートにされてしまうのだ。しかし世の中には、そのような生き方しかできない人もいる。愛国心のなせるものだ。
そもそも彼らのような存在を必要とする国家とは何だろう。結局は政治に利用されるだけなのだが。そしてその政治は、経済的な力を持つ人々によって支配されている。そのように考えていくと、戦争も軍人の存在もどこまでも一部の人間たちの経済的利得のための道具に過ぎないということになる。
チルダーズ大佐が発砲命令を出したのは、群衆に交じって銃撃してくる非民間人というか兵士というべきかを発見したからであった。しかしその発砲は難しい。彼ら兵士のすぐ横には民間人・市民が一緒にいるのだから。ふと思ったのは今のウクライナでの戦闘である。ロシアが苦戦している要因の一つに、ウクライナ軍が市民を人間の盾として使い、市民の間から銃撃してくるということらしいのだ。撃たれはするが、反撃できないという状況なのだ。
この点、アメリカ軍は市民の巻き添えを恐れることなく銃撃している。まさにアメリカのやり方だ。ロシアはそれをしていない可能性がある。やはりアングロサクソンの方が、より冷酷なのかもしれない。そんなことまで想起させるシーンであった。
そしてその記録媒体であるビデオテープを、国務省の補佐官というのが焼却してしまうのだ。それはまさしくチルダーズ大佐の無実(交戦規則での)を証明するものであった。観客はそのビデオテープの中味を観ることができたが、映画ではその補佐官以外の誰も観ていないということになっている。
ラストシーンのテロップで、この補佐官が証拠の隠匿・破棄でその職を追われたとあった。どのようにしてその事実を見つけたのかは説明がなかった。しかし、国務省あての送付リストにあったわけだから、それを故意でなくても紛失しただけでも責任は問われるはずであるが。とまれ、彼は有罪にするために、無罪を立証する証拠を消したわけだ。政治家が一番怖い存在かもしれない。
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2022年11月29日 (火曜) [英雄の条件](2000年 RULES OF ENGAGEMENT アメリカ 127分)音声解説版
ウィリアム・フリードキン監督による音声解説版を観る。「問題提起をしたかった」、と。たしかに上手くいけばアメリカ合衆国という国家がその栄誉を得る。もし失敗すれば一兵士(といっても大尉とか大佐とかの指揮官だが)に責任を負わせて恬然としている。そんな国家に対しての異議申し立てでもある。
一人一人、個々人は、それぞれ自らの信念に基づいて、あるいは損得・保身のために、その時その時に決断をしていく。それは良い悪いではなく、それが人間というものの本質なのだ。一人の人間の中に良い心根もあれば、悪いというか人間としてまずい心性も併せ持っているわけだ。
個々人の小状況のみを見て判断すると間違うことになる。大状況を見なくてはならない。それは結局、国家というものをきちんと見ておかねば、国民というかそこに属さざるを得ない人々は常に犠牲となるのだ。
一つ監督の意見に同意できないのは、第二次世界大戦での日本への原爆投下についてである。この決定を下した大統領とチルダーズ大佐の決断を同様のものとして考えている点である。とまれいろいろと考えさせられる佳作であった。
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