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【こんな映画でした】200.[叫びとささやき]

2020年 3月 4日 (水曜) [叫びとささやき](1972年 VISKNINGAR OCH ROP CRIES AND WHISPERS スウェーデン 91分)

 イングマール・ベルイマン監督作品。映画全体が「赤」が基調とされている感あり。オープニングの出演者などのテロップの背景から始まり、室内装飾やベッドカバーも赤。フェイドアウトも黒くなるのではなく赤くしたり、そして「血」。

 これは女性の映画であり、その女性を象徴する色が「赤」なのだと考えているのだろう。女性のどういう面を「赤」と認識しているのだろうか。単純に考えれば、女性の生涯は初潮からして「赤の歴史」と言えるほど、赤く彩られているとも言えよう。ただそんなに単純化して考えるのは、早計だとさすがに思う。

 とまれ主人公は、三人姉妹と二女に仕える女性アンナの四人の女性。ストーリーとしては、三人姉妹の真ん中・アングネス(ハリエット・アンデルセン)が重篤な病で、死期が迫っている状況で、姉カーリン(イングリッド・チューリン)と妹マリーア(リヴ・ウルマン)が見舞いに来る。

 まもなくアングネスが亡くなるが、その間に姉と妹とが、姉妹であることからくるこれまでの人生における葛藤をぶつけ合う。葬儀の後、この二人は最終的に折り合うことなく、再び別れていく。アングネスの世話をしていたアンナ(カリ・シルヴァン)は、用なしとなり、わずかな金を渡され解雇される。

 ラストシーンは、このアンナが生前からの約束だったのか、はたまた黙って入手したのか分からないが、アングネスの日記を粗末な自室で開き、九月三日の記述を声にして読み出す。それは途中からアングネス自身の声に替わり、映像はアンナの上半身からチルトダウンして、その時の実写シーンとなる。

 それはアングネスの三人姉妹が見舞いに来てくれて、三人で家の近くの緑のなかを散歩するシーン。そして、三人一緒にブランコに乗り、アンナに揺すってもらうという、アングネスにとって最後の幸福な瞬間であった。

 そのブランコのワイドの映像から、アングネスのアップの映像となり、そこに次のようなアングネスの声が重なる。「<時よ、止まれ>と願った。これが幸福なのだ。もう望むものはない。至福の瞬間を味わうことができたのだ。多くを与えてくれた人生に感謝したい。」

 その独白の終わった後、再び赤い画面に白い文字でテロップ。「叫びもささやきも、かくして沈黙に帰した」。

 ――アングネスが20年前に亡くなった母を回想して(独白)
 母を独り占めしたかった。あの優しさも、美しさも、ぬくもりも。母は時に冷たく、よそよそしかったが、私は憎まず同情した。今では母のことが分かる。もう一度会って、言いたい。倦怠やいらだちや、欲望や寂しさが分かると。.....
 仲間外れの気分だった。私にはいらいらとせっかちに話す母が、マリーアとはささやき合っている。うりふたつだ。いったい何を笑ってるのかしら? 楽しげな部屋で私だけが独りぼっち。
 でも、ある秋の日だった。カーテンの陰から母を見ていた。深紅の壁に囲まれた白いドレスの母。手をテーブルに載せ、うなだれている。私に気づき、優しい声で<おいで>と。また叱られると思い、おずおずと近づいた。でも母の顔が、あまりに悲しそうなので思わずほおに手を。一瞬だけ母に近づけた。

【これらから分かるように、アングネスは母から疎外されているという気持でその人生を送っていたのだ。もちろん母を強く求めていたに違いない。病床では、アンナがあたかも母親のように、アングネスを抱擁していた。】

 ――アングネスが亡くなった時に司祭が、その枕元で次のように
「私たちの苦しみをお前の肉体に集め、すべて持ち去ってほしい。そして彼方の国で神のもとへ赴き、神と向かい合ってほしい。もしお前に主の言葉が話せるなら、神に話しかけてくれ。
 私たちのために祈ってほしい。アングネス、私からのお願いだ。暗く汚れた地上に残された者に、どうか祈ってくれ。私たちの罪を許すよう神に請うてくれ。
 こう頼んでくれ。私たちを不安や倦怠や疑惑から解き放ってほしい。人生の意味を知りたい。長い試練に耐えたお前の言葉なら、きっと聞き届けてくださるだろう。」

【こういう考え方をするのだな、と。やはり生き残った・残された人間が第一だということでもあるか。】

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