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【こんな映画でした】1020.[未来を花束にして]
2019年 5月 4日 (土曜) [未来を花束にして](2015年 SUFFRAGETTE 106分 イギリス)
何ともシビアな映画だ。彼の大英帝国の醜悪な歴史の一面を描いている。世界に君臨した大国ということは、換言すれば世界でもっとも強烈にえげつないことをしてきた国である、ということだ。アマゾンプライムで。
そんな中で生きる、国民の半分を占める女性の苦難の歴史を描く。何より驚かされるのは、今や平和的なイメージのあるイングランドの警察官たちの暴力的であること。相手が無腰の女性であるにもかかわらず、警棒で殴りつけ、押し倒す。所詮、権力の召使いの本質はこのようなものであろう。
さて原題の意味は、「主に20世紀初頭の英米における女性の婦人参政権論者(ジーニアス英和辞典 第5版 (C) Taishukan, 2014-2015)」とのこと。そのものズバリである。もちろんこれを邦題にしたら映画館は閑古鳥が鳴くことになるだろう。
もっともこのような綺麗な邦題にしたところで、その中味を知ったら客はまず入らないだろう。こんなしんどい歴史を誰が観たいと思うだろうか。せいぜいイギリス人の一部、それも労働者階級の人たちだけかもしれない。興行成績もさほど芳しくなかったようだ。だからといって映画が悪かったわけではない、もちろん。
そう、いまだに上流・特権階級の男たちは、女性への参政権付与(?)を深く後悔しているのかもしれない。映画の中でも信じられないような女性蔑視の言葉が出て来る。
一人男性側で面目を保てたのは、アーサー・スティード警部である。彼は主人公の女性モードに対して、スパイになれと言う。そのやりとりの中で、お互いがともに所詮は運動指導者・権力者の歩兵に過ぎないと自覚していることだ。その上でそれぞれの使命・役割とおもうところを実行していく。
それにしても世の中を変えていくためには、平和的な手段だけでは無理なのか、と嘆息させられる。人の命を奪うようなことはしないまでも、物を破壊するという手段。世間の耳目を集めるためには、有効な方法ではあるのだろうが。
所詮、権力を握る側は圧倒的に強い。それに蟻の一穴を開けるためには、どうすればいいのだろうか。この映画の時代は1912年。
監督のサラ・ガヴロンは初めて観る。モード役のキャリー・マリガンは、これまで[17歳の肖像 ](2009)・[わたしを離さないで](2010)を観ている。警部役のブレンダン・グリーソンは、知らないうちに何本か観ていた。[ブレイブハート](1995)・[マイケル・コリンズ](1996)・[トロイ](2004)・[ヴィレッジ](2004)・[ヒトラーへの285枚の葉書](2016)。