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【こんな映画でした】50.[ゴッホ]

2022年 3月27日 (日曜) [ゴッホ](1990年 VINCENT & THEO イギリス/フランス/オランダ 140分)

 ロバート・アルトマン監督作品。原題から分かるように、ゴッホの「兄弟の物語」として描いている。ゴッホにはティム・ロス(撮影当時29歳)、テオにポール・リス(撮影当時26歳)。この二人とも今作で初めて観ることに。上手いキャスティングだろう。

 よく知られているように、ゴーギャンとの出会いと別れにはシビアなものがあったようだ。憧れていたゴーギャンとも別れざるを得ないのは、芸術家というのはやはり孤高の存在であるがゆえか。他人との共同生活には向いていない。

 それにしても私が思うのは、ゴッホの絵がほんのもう少し売れていたら、彼は自殺をしなかったのではないか、と。だからオープニングシーンは皮肉でもあり、監督の思いでもあったかもしれない。サザビーズでの「ひまわり」の現実のオークションシーンである。500万ポンドから始まり、最後はゴッホを映し出しながら、音声だけは「2000万ポンド」とかと聞こえてくるのだった。

 ゴッホの最後については諸説あるようだ。一般に知られている自殺ではなく、拳銃の暴発による事故説もあるのだが、ここでは右脇腹を自ら撃っている。その死の翌年にテオも亡くなっているが、おそらく兄の死のショックと梅毒とであろう。当時の男性は娼婦を買うというのが当たり前のようにあったのだろうか。19世紀末のことだ。

 ふと思いついたのだが、もしかしたらゴッホの絵が生前一枚しか売れなかったというのは、実は画商であるテオがあえて売らなかったのではないか、と。自らが所有していたいがために。私がそのように思ったのは、もちろんアルトマン監督の描き方にヒントされたものだが、ほぼラストシーンでテオが妻とその兄に言っているのだ。

 この部屋、つまりゴッホの絵でいっぱいの部屋だが、これを指して「兄さんと僕の部屋だ」。この兄弟の一体感というものは、兄ゴッホの生前もそうであれば、その死後においても、その作品すべてを独占所有しないではいられないくらいのものだったのではないか。その結果、一般の人々に売らなかったのではないか。私はそんな仮説に思いいたった。

(ゴッホの死後、葬式も終えてテオの住むアパートメントに戻り、妻とその兄に向かってテオが言う)「ここは兄さんの作品を見たい人が来る場所なんだ。すばらしいだろう? 全部、兄さんの作品だ。(食事の時間よ、との妻の声)まずここを整えることが先決だ(most important thing)。それが僕の人生で一番大切なことだ。兄さんと僕の部屋なんだ」。

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