【こんな映画でした】922.[インド夜想曲]
2023年12月28日(木曜) [インド夜想曲](1988年 NOCTURNE INDIEN フランス 105分)
アラン・コルノー監督作品。ジャン=ユーグ・アングラード主演。『美しい人生の階段 映画ノート'88~'92』(辻邦生 文藝春秋 1993年)に紹介されていた一本。
不可思議な映画である。ストーリーはある(ように見える)。一人の男が、いま一人の男(親友)を探しにインドへやって来たということ。どうやらポルトガル人らしい。が、決定的な資料になる「写真」がないのだ。だから口頭で、こんな風な男だと説明している。
このあたりのことで、そろそろこの映画の中味についてピンと来るべきなのだが、なかなか分からない。ラストシーンでようやく、そういうことなのか(もしれない)、と認識できるようだ。
神智学が出てくれば、インドの土俗宗教であるシヴァ神も出てくる。ゴアはポルトガルの植民地であったし、キリスト教会もある。出演者はほとんどがインドの人であるが、基本的にみんなフランス語で話す。吹き替えだとは思うが。
何人もの老若男女と出会い、その都度何らかのヒントをもらって移動していく。ボンベイ・マドラス・ゴア等々。もっとも撮影はボンベイだったそうだ。ラストシーンの主人公のアップは、スペインで撮影したと監督が言っていた。そしてあの曖昧な表情を撮るのに二日かかった、と。
本当に自分を見失っていて、探し求める旅をしていたのだろうか。それとも分かっていながら、自分のことを他者のようにみなして旅を続けていたのだろうか。分からない。映画の終わりは、原作の小説通りだとのこと。
ラストシーンのあの微笑は、何かに納得した満足した表情だったのだろうか。分からない。分からないのは、結局、自分で自分というものを分かることの難しさなのだろう。誰にも分からない。他者はその一部分だけを見て、一部分だけ分かるのであろう。
しかし、実は「私自身」も、その一部分しか分かってないということになるのではないか。それが人間存在というものなのだろう。これで、いいか。
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