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【こんな映画でした】29.[パブリック・エネミーズ]

2022年 2月 8日 (火曜) [パブリック・エネミーズ](2009年 PUBLIC ENEMIES アメリカ 140分)

 マイケル・マン監督作品。これまでアル・パチーノの[インサイダー](1999)を観ている。次は[ALI アリ](2001)を観るつもりで購入済み。

 さて今作は、実在のアメリカのギャング、ジョン・デリンジャーの半生をジョニー・デップ(撮影当時45歳)が演じたもの。機関銃を使っての凄まじい殺しあいは、あまり気持ちのいいものではない。監督による音声解説版があるが、当分は観ないだろう。

 解説によると、本名は「ジョン・ハーバート・ディリンジャー・ジュニア(John Herbert Dillinger Jr.」とのこと。「デリンジャー」の方が言いやすいが、綴りからみたら「ディリンジャー」だろう。1903年6月22日生まれで、1934年7月22日、映画館から出てきたところで射殺されている。5発発射され3発が当たり、その内の1発が心臓を、とのこと。

 不可解だったのが、このラストである。ポリーとアンナという二人の女性が彼をFBIに売っていることは、彼も気が付いていたのではないか。それでもあえて死地に趣いた理由が分からない。

 映画ではビリーという恋人が重要な役割を果たすが、彼女との出会いは死の前年の10月であった。彼女は逮捕され収監されていたのだが、2年くらいなのでその期間を安全なところで待っていてほしい、とのメモ書き(「Dear father」との書き出し。DVDを停めてみて、ようやく分かる程度)を弁護士を通して渡している。そのように描いているのだが、どうしてそうはせずに危険なシカゴに居続けたのだろうか。そして繁華街の映画館に行くとは。

 さて「社会の敵」とされたデリンジャーだが、ようするに何度かの銀行強盗と一人の警察官を殺害したことが主な犯罪のようだ。それだけのことでといってはいけないが、少なくとも「社会の敵」ナンバーワンに当てはまるかといえば疑問だ。これはやはり政治的に利用されたと考えられるのではないか。「パブリック・エネミーズ」とは、果たしてギャングだけがそうなのか、と疑問を感じさせる。最大のパブリック・エネミーズは他に存在するのではないか、と。

 恋人役をマリオン・コティヤール(撮影当時33歳、[ビッグ・フィッシュ](2003)・[ロング・エンゲージメント](2004)で観ていた)、捜査官をクリスチャン・ベイル(撮影当時34歳、観たばかりのあの[太陽の帝国](1987)の子役であった!)。あとキャリー・マリガンが出ていたが気が付かなかった。

2022年 2月 9日 (水曜) [パブリック・エネミーズ](2009年 PUBLIC ENEMIES アメリカ 140分)音声解説版

 監督による音声解説版は余裕があれば観る(聞く)つもりにしていたが、観てよかった。つまり、この監督の解説を聞かなければ私はこの映画と、その内容について理解できてなかったと言うこと。率直に言って、最初に観た時は、そんなに感心できる映画とは思えなかったのだ。ところが。

 監督の指摘で気が付いたのは、これが彼にとっての青春時代の生き方であり、人生のすべてであったということ。3歳で母親に死なれ、厳しい父親のもとでの半生は愛されることのない過酷なものだったようだ。だからビリーとの出会いは、彼の人生を変えることになる可能性を秘めたものであった。

 ただラストシーン、映画館前で射殺される時には、もう彼はすべてを諦めていたのかもしれない。一説によるとその際、「撃たないでくれ、Gメン」と叫んだとの目撃証言もあるそうだ。もしそうだとすると、彼は諦めていずに、つまり服役して何年かを過ごし、待っていてくれる彼女との生活を一瞬夢見たのかもしれない。しかし、シカゴ警察は最初から殺害することに決めていたとのこと。

 少し戻るが、この映画館に行った理由がまず不明なのだが、それは深い意味はなく、彼の日常的な逃亡生活の一コマで、特別に変わったことをするという意識はなかったのかもしれない。そして一緒に行くアンナという娼館の経営者についても、何ら疑いを持っていなかったのかもしれない。司法取引などをエサに密告をさせたということは間違いないが。

 監督は、映画館から出て来てしばらく歩いている途中で捜査官の存在に気付いたというふうに描いている。それもビリーに暴力を振るった捜査官の顔を群衆の中に見つけて。そちらに気を取られている間に、より近くにいた捜査官に撃たれる、というふうに。しかし警察のやり方も凄まじい。映画館から出て来る多くの人がいる中で射殺するのだから。一般人に犠牲が出てもいいとでも考えていたのかもしれない。

 この裏切ったアンナ(他にも何人もが裏切っているが)は、平然とこのラストシーンを見ていたのだろうか。この手引の取引で永住許可を取り付けようとしたのだが、結局、二年後に強制送還されたようだ。報償はその二年間であった。その後の生涯を通して悔いることはなかったのだろうか。

 とまれ私見だが、つくづく人は必ず裏切られるもの、ということだ。私利私欲のために。保身のために。イエス然り、日蓮然り。ブッダもそうだったか(提婆達多だ)。彼らのような人徳者にしてもそうなのだ。まして況んや我々をや、ということか。

 このようなわずか31年の人生しか送れなかったデリンジャーに、アメリカの大衆は共感したのだろう。あと映画でいうと[俺たちに明日はない]のボニーとクライドもそうだったのかもしれない。奇しくも彼らもこの1930年代アメリカを生き、若くして死んでいったのだった。

 Bonnie Elizabeth Parker (October 1, 1910 – May 23, 1934) and Clyde Chestnut Barrow (March 24, 1909 – May 23, 1934) とのこと。つまりデリンジャーの死の直前、ちょうど二ヶ月前に射殺されている。まさに、奇しくも、と言うべきか。アメリカはそういう時代だったのだろう。

 監督によると、このような犯罪者の出現は、デリンジャー以前は先天的な理由で犯罪者となっていたと解釈されていたとのこと。しかしデリンジャー以後は後天的というか、その生い立ちによって犯罪者となっていくということに社会は気付かされたとのことである。

 さらに犯罪を犯した者の、刑務所の処遇は酷いもので、それではとても更生するような施設ではなかったとのこと。例として看守と目が合っただけで暴力を振るわれ、反抗的だと拷問も受けた、と。これでは更生どころではなかっただろう。刑務所があまりにひどいので、娑婆は極楽というか天国のようなものだと、彼ら受刑者には感じられたようだ。

 デリンジャーもそうだったのだろう、私たちからすれば日常生活でしかないことの中に幸福を感じていたのかもしれない。つまりそれ以上のことを望まなかったのかもしれない。だから他のギャングたちと違って田舎で隠れてノンビリするなどという選択肢はなかったのかも。

 さらに監督の説明によると、デリンジャーたちの逃亡のためにはシンジケートが協力していたようだ。そのネットワークを利用して逃げおおせていたということになる。しかし時代が変化し、シンジケートがデリンジャーたちを裏切ることになっていったようだ。1930年代アメリカの悪役20人ほどのうち半数はシンジケートによって殺害された、とも。

 彼はもはや時代遅れになり、シンジケートからしたら邪魔者になっていた。映画では、それまで使えていた隠れ家に入るのを拒否されるシーンと、さらに次のシーンで、デリンジャーたちがもうシンジケートからしたら時代遅れで邪魔な存在になっているということを思い知らせている。

 時代は銀行強盗ではなく、言うなれば組織犯罪の時代に入っていた。さらにFBIのような州をまたぐ組織ができると仕事がやりにくくなるということ、で彼が邪魔になり切り棄てられていったということだ。

 彼一人は相当に優秀であったようだが、一人では銀行強盗はできない。それには有能な仲間と規律が必要だった。しかしみんな順に殺されていき、最後は彼一人になってしまったということもある。そのためレベルの低い連中と組んで失敗していくことにも。つまり質の悪い仲間との仕事や、準備不足・精神的余裕のなさにより、彼とてしくじることになったということだ。

 立場の違いはあれ、いろいろと考えさせられる内容の映画であった。私も表面だけ見ていたら、単なる一ギャングの哀れな末路ということで済ましていたかもしれない。ということで監督による音声解説版は重要であった。

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