【こんな映画でした】542.[山猫]
2020年 6月10日 (水曜) [山猫](1963年 IL GATTOPARDO THE LEOPARD イタリア/フランス 187分)
ルキノ・ヴィスコンティ監督作品。ようやく観ることができた。なるほど、これなら観ておくべきだと推奨されるわけだ。残念ながらバート・ランカスター(撮影当時49歳)とアラン・ドロン(撮影当時27歳)の声は吹き替えだが。クラウディア・カルディナーレ(撮影当時24歳)は思っていたイメージとは違ったが、ワルツのシーンは華麗に映像処理されていて、印象深い。
貴族というものは、こんなものなのかとその一端を知ることができた気がする。ものの考え方や立ち居振る舞いなど。
なお資料によると、元は199分あったとか。12分のカットはおそらく舞踏会のシーンだと推測される。残念だ。映画の宿命か。簡単にフィルムを切ってしまえる。
(125分~サリーナ公爵)
我らの願望は忘却だ。忘れ去られたいのだ。逆に見えても実はそうなのだ。血なまぐさい事件の数々も、我らが身をゆだねている甘い怠惰な時の流れも、すべて実は官能的な死への欲求なのだ。
現状を肯定する者に、向上は望めぬ。自己満足は、悲惨より強い。
(国王の使者 「ともかくこんな状態が続くとは思えません。新しい政治はすべてを変えてゆくでしょう」)続くべきでないものが永遠に続く。人間の"永遠"など知れたものだが。変わったところで、良くなるはずもない。
我々は山猫だった。獅子だった。山犬や羊どもが取って代わる。そして山猫も獅子も、また山犬や羊すらも自らを地の塩と信じ続ける。
【貴族階級というのは、時代が進むと「滅びていく」ものと信じられているようだ。しかし現実は、日本でもそうだが、彼らは滅びることはない。現存している。ただ、ここでサリーナ公爵が言うように、「忘却されていく」のだと思う。
「現状を肯定する者に、向上は望めぬ」とは、まさにその通りだろう。誰にあってもそうだ。「自己満足は、悲惨より強い」というのは、おそらく人間というのは「悲惨」さには、往々にして打ち負けてしまうものだが、「自己満足」している人間には、そもそも打ち負かされるものがないのだろう。
次の国王の使者に対するサリーナ公爵の弁は、達観というか諦観と言うべきか。確かに「続くべきでないものが永遠に続く」のが世の中というものだ。そして「人間の"永遠"など知れたもの」であり、たといそれが「変わったところで、良くなるはずもない」ということだ。
「地の塩」についての弁は、要するにみんな同じだ、ということか。】