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【こんな映画でした】943.[ルートヴィヒ 復元完全版]
2020年 6月25日 (木曜) [ルートヴィヒ 復元完全版](1972年 LUDWIG ルートヴィヒ/神々の黄昏 イタリア/西ドイツ/フランス 238分)
ルキノ・ヴィスコンティ監督作品。内容的には洋の東西を問わず、少なくない同様のケースがあったと思われる。要するに権力争いなので。そこで重臣たちが、気に入らない君主を排除していくということ。それも理由は「精神病」である。いずこも同じ汚いやり方である。どちらに責任があるか、ではなく。
ルートヴィヒの場合、逮捕・移送された翌日に湖で水死している。その素早さから見て、暗殺されたのではないかと私は思う。映画では、すぐに死んだのではなく、何日かを過ごした後、散歩が許可され、夕刻6時前に出て、まもなく帰ってこないのを不審に思った人たちが探して、湖で見つけたということだ。
もっともこの際、散歩に同行した医師グッデンが散歩しながら、何度も後ろを振り返り振り返りしていた。私はこれを、念のために誰かをつけさせてきているのかと思った。しかし後から考えると、それは刺客がやってこないかと気にしていたのかもしれないし、刺客がやって来るのを知っていて気にしていたのかもしれない。
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映画ではホルシュタイン公爵が、陛下がグッデンを殺害して、その後自害されたと宣言して終わっている。幕を下ろされている。映画では曖昧にしているが、歴史や政治という観点からしたら、多分に暗殺説に信憑性がある思う。
いずれにせよ歴史的事件としては、ありふれたことでありつつも、当時としてはショッキングなことでもあったのだろう。ルキノ・ヴィスコンティはどのあたりに興味を惹かれたのだろうか。
豪壮華麗な彼ら君主・国王の生活ぶりは、日本の大名などとは比較にならないほどの豪華なものである。それほどまでにヨーロッパの君主たちは、庶民の上に君臨していたということか。生産力の問題もある。
映画で見ている限り、彼ルートヴィヒの精神面の弱さ・人間らしさは、従姉エリーザベトに対する愛情、弟オットーに対するものが顕著に見られるが、母親に対しては非情であるように描かれている。幼少時に母親とは、何かがあったのだろうと推測させられる。
その後、夜、湖で水浴する従僕の裸の姿を見て、同性愛に気づかされるようだ。それも受け入れられない従姉への愛情のことがあったからかもしれない。
(143分~、デュエクハイム大尉がルードウィヒに)
特権的な自由は、真の自由とは別です。真の自由は万人のもので、誰もが手にする権利があるのです。我々の世界は純粋ではなく、善も悪もない。......
人生を愛する者は慎重に生きねば。国王とて同じです。国王の大権にしても社会の枠内に制限されています。枠の外にはありえません。平凡な人間は陛下の言う自由にはついて行けません。
陛下が軽蔑されるように、物質的な安定だけを求めている訳ではありません。王についていけるのは、道徳的束縛がなく、快楽を自由と解釈する人だけです。だが、間違いです。
卑しい下僕や詐欺師、人を食いものにする者、そんな連中は遠ざけるべきです。騙されてはなりません。別の存在理由を見つけねば。平凡さを受け入れる素朴な人間の存在理由を。高い理想を追う人には勇気のいることですが、それが孤独から逃れる唯一の道です。
【このように諄々と説くのだが、もはや王の耳に入ることはなかった。】