【こんな映画でした】385.[鏡の中の女]
2022年 7月16日 (土曜) [鏡の中の女](1976年 FACE TO FACE ANSIKE MOT ANSIKTE スウェーデン 137分)
イングマール・ベルイマン監督作品。これはクライテリオン社製の全集に未収録だったので別途購入。そのせいで日本語字幕で観ることができる。それはともかく、しんどい内容であった。
それは人間というものの精神のドロドロしたものを描こうとしているからなのだ(しかも主人公の女性は精神科医である)。人間はその表面に表れている精神性と、その裏に隠された巨大な闇とも言えるものを抱えながら生きている。それが何らかの切っ掛けで噴出してくるわけだ。
主演はリヴ・ウルマン(撮影当時35歳)、何とも見事な演技だ。狂気を演じている。彼女の同僚であり、主治医をエルランド・ヨセフソン(撮影当時52歳)。この二人は[ある結婚の風景](1974)では夫婦を演じていた。
*
様々な色彩や造形で何かを表現しているのだろうが、なかなかそれは分からない。一つ特徴的なの「赤」である。夢の世界を彷徨っているシーンは赤い帽子を被り赤のガウンのようなものをまとっている。ラストシーンは緑色の植物を描いたような絵画のショットで終わる。何かを象徴しているのだろう。
なによりこの主人公の不幸の原因は、その幼少期からの両親との関係、就中、母親とのいびつな愛情関係があったと思われる。それがラスト近くで自分の娘アンナからも、母親は自分を嫌っている、という言葉で出てくる。面と向かって(まさに FACE TO FACE で言われている)である。これは相当にきつい。
それは元をたどれば自分と母親との関係そのものだったのだろう。父親のことは好きだったようで、優しかったと言っている。しかしそれすらも母親に対する反抗・対抗からきたものかもしれない。本当は両親ともに嫌っていたのかもしれない。だから夢の中で出てきた両親の、父親に殴りかかっているのだ。
*
象徴的なことの一つに、オープニングまもなく主人公の女医が同僚の精神科医と話すシーンがある。仕事上の打ち合わせであるが、その中で年配の男性精神科医が次のように言う(ベルイマンがそう言わせているのだろう)。
「精神の病は、人類への偉大な罰だ。そしてその治療は、第二の罰だ。......精神療法の完全な失敗だ。我々は唯一人の患者も治せないよ、治療に関わらず何人かは良くなるがね」
精神療法の問題性・弊害を指摘している。本当はみんな分かっているのに、それを表立って指摘することができない風土があるのだろう。深刻な病弊である。このことによりどれだけ多くの人が苦しめられてきたか、あるいはその命を奪われてきたか。
結局、この主人公の女医も自らの職業である精神科医であること・精神療法を信じていること、この桎梏の中で自ら苦しんでいるのであろう。このような映画を作ったベルイマン自身に、深刻な嫌な体験があったのかもしれない。精神科医からしたらとても嫌な忌避したい映画であろう。