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【こんな映画でした】1025.[オズの魔法使]

2019年 7月 4日 (木曜) [オズの魔法使](1939年 THE WIZARD OF OZ 102分 アメリカ)

 これがその映画だったのか、というところ。主題歌ともいえる「オーバー・ザ・レインボー」は、ずっと昔から知っていたにもかかわらず、映画そのものを、その全体を観るのは今回が初めてだろう。(幼少期に観せられていたかもしれないが、それは分からない。)

 主役のドロシー役のジュディ・ガーランドもその名前は知っていたが、こうしてきちんと観るのは初めて。正直に言うと、やや小太りで今の若い子たちのようなスマートな感じではない。それでも彼女はこの映画出演に際し、減量したとのこと。

 現代的ではない気もするが、当時はかわいらしくて人気があったのは間違いない。彼女の娘の一人がライザ・ミネリであり、映像特典のインタビューに出てきて、その母のことを語っている。

 映画は作られたのが1938年のことゆえ、CGのようなものはないので特殊撮影というか、そのような技法がいろいろと工夫されていたようだ。分かりよいアイデアとしては、ドロシーがカンザスに居るときはモノクロというか茶色っぽい映像で統一されており、家ごとどこかへ吹き飛ばされて、そこでドアを開けると別世界・カラーの世界となる。

 このお話のような四人組とか、彼らが協力して何かを為し遂げるといったものは、よく見られるところだ。そのメンバーの組み合わせの妙が大切なポイントだろう。こういったお話はみんなに受けるようだ。

 私が気になったのは、もちろん私が大人になってからこれを観ているせいだろうが、中味のちゃちなところ。何でもかでも悪者は、魔女というわけだ。その悪い魔女をみんなでやっつけよう・殺してしまおうということ。その考え方が安直に肯定されてしまい、観客も一緒になって「やっつけてしまえ」と同調することに。このあたりがどうも私は気にくわない。考えすぎかもしれないが。だから素直に「小学校低学年から」のおすすめ映画として認めたくないのだ。

 あともう一つ考えすぎだと言われそうだが、オズの国に着いた途端に「小人」たちの暮らすマンチキンというところが出てくる。差別するわけではないが、いきなり125人もの小人が登場してドロシーを歓迎するシーンには驚かされた。

 原作がそうなっているのかもしれないが、ともかく全米から小人(サーカスなどで働く人も含め)125人を集めて収録したとか。この人数については特典映像で125人、キネマ旬報社の本(『アメリカ映画200』(P.146))によると350人とあった。(ちなみに映画製作の予算についても両者で相違があった。特典映像では当初200万ドルが260万ドルに、と。後者の本では300万ドルとしている。)

 特典映像について言えば、古いものであるにもかかわらず当時の写真がよく残されており、さらに驚かされたのはレコーディングのリハーサルと本番の録音が収録されていたことだ。のべ11時間分もあると、DVDの説明にはある。さすがに全部は聴いてないが。

 一通り見終わって、もう一度最初のシーンを見直した。モノクロの部分。最初観たときは、あまり訳が分からなかったので。牧場で働く男性三人が、オズの国での案山子・ブリキ人形・ライオンであった。そして魔女(顔を緑に塗っている)は大地主の女性であった。

 最後に監督のことだが、実際は3人いたようだ。最終的にビクター・フレミング監督というクレジットで記録されているが、特典映像ではソープという人が最初撮影していたが合わないということでクビに。

 そこでフレミング監督に。しかし最後の方で彼はクラーク・ゲーブルの求めに応じて(会社の命令で)[風と共に去りぬ]の方に移る。よって最後まで仕上げた監督はキング・ヴィダーということ。これも特典映像で監督自身がインタビューに答えている。ただフレミング監督が存命中は、口を閉ざしていたとのこと。

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