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【こんな映画でした】384.[砂と霧の家]
2022年 7月14日 (木曜) [砂と霧の家](2003年 HOUSE OF SAND AND FOG アメリカ 126分)
ヴァディム・パールマン監督作品。初めて。それこそウクライナ人とのこと。主演はジェニファー・コネリー(撮影当時32歳、[ハルク](2003)を観ている)とベン・キングズレー(撮影当時59歳、何と言っても[ガンジー](1982)か)。
何という映画なのだろう。ハードな内容で、いわゆるアメリカ映画的な感じと違う。というか21世紀になっていて、「アメリカ映画=ハッピーエンド」という図式はもうないのかもしれない。
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ストーリーは、簡単に言えば、一人の既婚女性のちょっと情けない人生の生き方が原因となって、何人もの人を不幸にしてしまうというもの。彼女以外で三人が亡くなり、一人が離婚の危機にさらされる。そして彼女自身も放心状態で、その後の人生をどのように生きていくのかまったく暗示もされない。ほったらかしで映画は終わっている。
彼女がもしもう少し真っ当であれば、夫に逃げられることもなく、家族にもウソをついてごまかす必要もなかったわけだ。さらにしてはいけない不倫をさせてしまうことも。人生は不条理ではあるが、たった一人の人間のいい加減さから、かくもむごいことが招来されてしまうとは。小説とはいえ、あまり気持ちの良いものではない。しかし原作はベストセラーとのことなのだ。
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この映画の予告編が入っていたので観た。日本語バージョンにこの映画を観るヒントになる指摘があった。「家(house)」と「家庭(home)」である。キャシーは本当は「家庭(home)」を求めていたのに、そのための努力をせずに(できずに)、「家(house)」という物体を求めて、それで良しと考えていたようだ。
一方、イランからの亡命者である三人(夫婦と息子)には、たとえ亡命先であろうと国籍も取り、そこには「家(house)」も「家庭(home)」も存在したわけだ。もっともオープニングシーンではホテル住まいであったが。まもなく競売に付されている家を購入することに。それがキャシーが追いだされた「家(house)」なのであった。
この両者の接点となるのがこの「家(house)」であった。キャシーはこれを郡役所のミスとして取り戻そうとする。一方イラン人の方は合法的に取得したもので、彼女に返す気はない。そこでトラブルが生まれる。キャシーに同情した警察官も絡んで(いずれこのことが致命的な事件になっていくのだが)。
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少し戻るがこのイラン人家族の中でも、実はこの「家(house)」と「家庭(home)」については考え方の違いがあったことが、描写されている。つまり夫は故郷への気持ちはあっても、それを割り切ってこのアメリカで前向きに生きていこうと少なくとも表面的にはしている。それは妻のためであり、息子(これから大学に入る予定)のためである。
ところが妻の方は、かつてのイランでの生活が忘れられず、つまりイランでの「家(house)」に戻りたいという気持ちを、もはや現実的ではないのだが、持ち続けている。そのために夫にことごとく不満をぶつける。本当ならそこには何より大事な「家庭(home)」があるのに、それに気が付いてないのかどうか分かりにくいが、ともかく現状に満足していないのだ。それが夫の悩みでもある。
分からないのはその息子だ。彼はどう考えているのか、よく分からないまま終わってしまう。家族、特に母親思いであることは分かるのだが。ラストシーンでの彼の「爆発」も、分からないではないが、何とかならなかったのかと思う。
ということでこの映画では、普遍的な問題である「家(house)」と「家庭(home)」、そのいずれがより大事なのか。また両者のバランスを上手くやっていかなければならないことを示唆している。どちらかに偏すると、それこそバランスが狂い、その人生が狂っていくのだ。
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原題の深い意味は分からないが、「家(house)」や「家庭(home)」というものは、砂や霧のようにはかないものだと言うのかもしれない。