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【こんな映画でした】35.[A.I.]
2011年 7月15日 (金曜) [A.I.](ARTIFICIAL INTELLIGENCE:AI 143分 アメリカ 2001年)
これが彼の有名なスピルバーグのエー・アイだったのか、と思った。ひとことで言って、切ない映画だとも言えよう。どこまでも母親と男の子との濃密な関係。ロボットと人間との関係(敵対視・疎外)も描かれている。ロボットを殺す(?)見世物は、ローマ帝国以来の庶民の娯楽だ。
子役がなかなかのもの(ハーレイ・ジョエル・オスメント)、ついこの前見た[シックス・センス]に出ていた子役だ。あとウィリアム・ハートが出ているのも懐かしい。年を取ったものだ。といっても私と同じ歳なのだが、[蜘蛛女のキス]以来だ。
それにしても切ないのは、ロボットであるデイビッドが、その母・モニカの愛情を得たくて、ピノキオのように人間になりたいと願うところだ。そして、そのために様々な困難に。ロボット技術がいずれそこまで進むと、このような事も起こりうるのかもしれない。
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2022年 3月 1日 (火曜) [A.I.](ARTIFICIAL INTELLIGENCE:AI 143分 アメリカ 2001年)
スピルバーグ監督作品。原題は「人工知能」と素っ気ない。あのスタンリー・キューブリックが作りたかった映画とのこと。彼の死後、スピルバーグが引き継いで作ったということらしい。
初めて観たのは2011年 7月15日 (金曜)、今回は二度目。やはりあまり覚えてなかった。そのせいもありラストシーンでは、身体が震える感動を覚えることができた。ラストシーンは、切ない、の一言である。
前回観てからの10年で、私自身にどのような変化があったのか、映画の見方に変化が出てきている気がする。あと様々な伏線やオマージュなどにも気付くことができるようになってきているようだ。
ピノキオ一つとってみても、これまでは単なる子どもだましのお話だとしか思ってなかったが、今こうしてこの映画の中での重要な伏線として挿入されていると、あらためて人々の「願望」を具現化したものなのだと気付く。
つまり、子どもを失った親や、子どもを得られなかった親たちの願望の具現化と考えることができるのではないか。あまりにも切ない話になるが、そういうことかもしれない。そもそもはジュゼッペおじさんの願望の具現化かもしれない。
俳優では、何と言っても子役のハーレイ・ジョエル・オスメント(撮影当時12歳)の存在感が凄い。そして彼と行動をともにするジゴロのジョー役のジュード・ロウ(撮影当時28歳)がそのメーキャップもあって良い。脇役ではウィリアム・ハートが出ている。母親モニカ役のフランシス・オコナー(撮影当時33歳)も良い。
エンドロールを見ていて気がついたのは声優(?)というか、声の出演である。まずナレーションは誰かと思っていたらベン・キングズレー。そしてドクター・ノウをロビン・ウィリアムズ。ブルー・フェアリーをメリル・ストリープ。何とも豪華である。
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(75分~) 作られた目的は? 君らのハートを盗む "子供の代用品" だ。人間の尊厳を侮辱する代物だ。神の子供たちは抹消されるのか? その目的のために造られた次世代の子供がこれだ。だまされるな、外見の高度な技術に。確かに舌を巻く模倣技術だ。だがわずか一撃でこの模造品は君らの目前で粉々に砕け散る!
【このようなアジテーションが、この「ロボット破壊ショー」(?)の司会者によって叫ばれる。ロボット技術のあるところ、必ずこのような問題が発生するようだ。人間のために造られたロボットが、人間を凌駕し、裏切るという心配をしている。であるなら初めから止めておけばいいものを。人間というのは厄介なものだ。】