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【こんな映画でした】569.[五月のミル]
2022年10月28日 (金曜) [五月のミル](1989年 MILOU EN MAI MAY FOOLS[米] MILOU A MAGGIO[伊] MILOU IN MAY[英] フランス 107分)
ルイ・マル監督作品。長男ミル役をミシェル・ピッコリ(撮影当時63歳)、次男の妻カミーユ役をミュウ・ミュウ(撮影当時39歳、1988年の[読書する女]を観ている)。私が最も魅力を感じた役柄はリリーで、ハリエット・ウォルター(撮影当時39歳)というイギリス人女優。遺産相続に躍起になっているまわりの人たちとは別の、部外者としてクールにそれを見ている。そしてミルと話が合うことに。もっともその場限りの人間関係であることに違いはない。
だからラスト、家の前から次々にみんなそれぞれの居場所に帰っていくときは、家族も何もない、みんなバラバラであった。せいぜい少女フランソワーズだけが、ミルにきちんとさよならをしていっている。
ラストシーンは、みんなが消えて静まりかえった家の中にミルが一人入っていく。一つ一つ部屋(家具の取り合いで荒らされている)を眺めていく。ピアノのある部屋まで行くと、そこでは母(亡くなっているのだが)がピアノを弾いている。そしてミルと踊り出す。これでおしまい。もちろんラストシーンは現実から幻想の世界に入っていっているわけだ。
これから彼はどんな人生を送るのだろうか。長男で、結婚もしてなかったようなので、これから先も母親の思い出とともにそこでの田舎暮らしを死ぬまで続けることになるのだろうか。使用人の老人とともに(小間使のアデルは結婚して、おそらくもう戻ってこないだろう)。
この映画を観る切っ掛けは、辻邦生の『美しい人生の階段 映画ノート'88~'92』(1993年)と『続 ヨーロッパを知る50の映画』(狩野良規 2014年)に紹介されていたから。それらによるとチェーホフの『桜の園』との類似性が指摘されていたが、なるほどそのようなことでもあるなと気づかされた。
フランスの現代史ともいえる1968年の「五月革命」を背景にしているのも、観ていてすぐに分かる。もちろん彼らフランス人、中でもブルジョアジーの思考を知ることも・理解することも私には困難であるが。