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四旬節第3主日(A)年 説教

本日の福音 ヨハネ4章の5~42節
◆ 説教の本文

「サマリアの女が水を汲みに来た。イエスは、『水を飲ませて下さい』と言った。」 

「サマリアの女」と呼ばれるこの物語は、イエス様が人々と交わされる対話のうちで最も長いもののひとつです。クライマックスは「それは、あなたと話しているこのわたしである」というイエス様の自己開示です。

 福音書の中で語られるイエス様の人々との出会いはほとんど、その場かぎりのものです。イエス様が人々の苦難を見て関わられるが、その出会いの後、彼(女 )が自分の人生をどう生きたかはほとんど語られることはない。
 それに対して、この対話は長い。非常に長い。「水を飲ませてください」 という、疲れたイエスからの働きかけから始まって、「水」という言葉についてのやり取りがあり、彼女の人生の苦悩が暗示されます。彼女が自分の宗教に満足できない渇きを持っていることも暗示されます。話しているうちに、彼女はイエスの中に救い主を認めます。そして最後は彼女が宣教者、イエスが自分にしてくれたことを伝える者となり、実りをもたらすところまで 話は続きます。一人の人間がイエスと出会っていく過程の一典型を示すものと言えます。
 この対話はじっくり聴き、そして黙想すべきものです。
 四旬節はキリスト教信仰をもう一度ラジカルに捉え直す時期であると同時に、求道者の最後の準備の時でもあります。この復活祭に洗礼を受ける求道者が、自分がイエスに近づいた旅路を振り返ることはふさわしいと言えましょう。

 さて、この対話は、その場で交わされたものとして考えると、かなり不自然です。話題の転換が不自然です。たとえば、彼女の男性関係が問題含みらしいことが触れられますが、そこに深く突っ込んで行くことはなく、唐突に話題は当時の宗教問題に切り替わってしまうという具合です。
 しかし、長い時間をかけて少しずつ進んでいった対話だと考えると、そして空白の時間を想像力をもって補うと、案外に自然な流れです。空白を補いつつ、対話全体を説教すると一時間はかかるでしょう。こうなると講話ですね。

 イエス様の人々との出会いのほとんどは、目が見えないとか、悪霊にとりつかれるとか、具体的な苦しみを媒介としています。
サマリアの女の苦悩は、人間の孤独、人間の交わりからの疎外に関係しています。彼女は、その状態を苦しみとしてはっきりとは自覚していないようです。ただ、自分の人生を生きているうちに、いつの間にか陥ってしまった状況を生き辛いものに感じています。その意味で、このサマリアの女の物語は現代的です。

 彼女は昼の12時頃に一人で水を汲みに来ます。当時、水汲みは女性の仕事ですが、重労働です。日本の釣瓶のある小さな井戸ではなく、地面に掘った大きな穴に自分で降りていって水を汲んだのです。ですから、女性たちは涼しくなった夕方に水汲みに行きます。また、水汲みは女性たちの社交の場でもあります。彼女はそこから仲間外れにされて、暑い日ざかりに一人で水を汲みに来たのです(情景として印象的です)。疎外されている理由の一つは、 後に話題になりますが、彼女の男性関係によるのでしょう。

 「あなたの夫をここに呼んできなさい」というイエスの働きかけによって(かなり唐突です)、彼女が今、六人目の男性と、律法から認められないイレギュラーな同棲生活を営んでいることが明らかになります。しかし、福音書のイエスはその状態について、彼女を追及しようとはしていません。彼女自身、今の生活があるべき生き方でないことは薄々感じています。まずイエス様は、彼女自身の内省に委ねます。この男性こそ自分を幸せにしてくれると期待をかけたが、その期待は裏切られ、また次の男性に期待をかける。それを繰り返しているうちに、いつの間にか、生活は荒涼としてきてしまった。
男性は、自分を満たしてくれるものの象徴かもしれません。彼女は関係性の砂漠(relational desert)に入り込んでしまったのです。

 彼女はイエス様と長い対話をするうちにしだいに、彼女が長い間、漠然と 求めていたものは、イエスとの関係性であることを直観します。奇跡のような目覚ましい出来事を介在させずに、対話だけで深い直観に至る。この物語は、現代日本の宣教にふさわしいと言えるでしょう。

 「 それは、あなたと話をしているこの私である。」

☆ 説教の周辺

(1) A年は、四旬節第三主日には 「サマリアの女」 、第四主日には 「生まれつき目の見えない人」(ヨハネ9章1~41節)、第五主日には「ラザロの復活 」(ヨハネ11章1~45節)が読まれます。いずれも長い朗読ですから、 前日(土曜日)にゆっくりと読んでおかれると良いと思います。

(2) この福音朗読は洗礼直前の準備になるので、B年とC年の福音朗読としても使われます。第三主日は「水」、 第四主日は「光 」、第五主日は「命」がテーマになっています。