見出し画像

復活節第3主日 説教 推敲しました。

復活節第三主日の説教

ヨハネ21章1~19節

☆説教プラン
言葉による説教は短めにして、会衆と共に、イエスの復活の光を味わう 黙想の時間をとる。

◆説教本文
ミサ典礼の説教における聖書の扱い方と、聖書研究とは違います。特に、典礼季節はそうです。ミサの説教では、なぜ、この日の朗読に、この聖書箇所が選ばれているのかを意識しなくてはなりません。

今日の福音は内容が豊富ですが、復活節の前半に読まれるということを考えると、「イエスと弟子たちが 浜辺で 黙って食事をする」という場面を中心にすべきでしょう。聖書研究的には、漁をする場面にも関心を惹かれますが、宣教は復活節の主なテーマではありません。 むしろ、年間のテーマです。

イエスは、「さあ、来て、朝の食事をしなさい」と言われた。弟子たちはだれも、「あなたはどなたですか」と問いただそうとはしなかった 。イエスであると分かっていたからである。

Baskという言葉があります。
原爆に「被爆」するという使い方もありますが、本来は、光を存分に浴びることです。そして、光の暖かい恵みを体の奥にまで受け入れることです。この聖書箇所は イメージを用いて 黙想するのに良い場所です。 自分が 7人の弟子の一人となって、イエスの用意してくださった食事を、イエスと一緒に静かに食べているとイメージしましょう。 「うわー 、イエス様だ」「 すごーい」 とか騒ぐ必要はないのです 。分かっているからです。言葉はいらないのです 。そして、イエスの現存の光を存分に体に浴びて、暖まりましょう。

【イメージを用いた黙想を数分】

そして、おもむろに立ち上がって、暖まった身体を持って、自分なりの宣教に向かいましょう。