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黄菜子という猫

昨日からnoteを始め、自己紹介と家族の事を書かせてもらいました。

で、昨日紹介できなかった大事な家族がいます。
この春で6歳になる茶トラの女子。
前後ろ4本の足に白い靴下をだいたい同じ長さで上手に履いた、ちょっと豊満な箱入り娘。


今から5年半ほど前、保護猫の譲渡会で縁あって我が家に来てくれた。
「きなこ」という名前は娘がつけたけど、割とありきたりなのでひねりが欲しいという事で私が漢字をあてた。

以前から「猫と暮らしたい」という漠然とした願望があったものの、実際に猫を飼育した事は無い。
仕事辞めてから落ち着いて考えた方が良いのかなあとも思っていた。

でもちょっと調べてみると、今は猫も長生きなので20年くらい生きる事、保護猫の譲渡を希望する場合、高齢だったり年金暮らしだったりすると難しいかもしれない事などが(あくまで参考。保護主さんによります)分かってきた。

そこからは早かった。同じく「猫と暮らしたい派」だった娘が譲渡会の情報をひろって来て、2人で出かけ、そこに生後3か月くらいだった黄菜子がいた。

そして実際に暮らし始めて。

可愛い。
ただただ可愛い。
自分の中に、こんなに柔らかな感情があった事に驚いた。
可愛いが溢れ出して溺れそうになるくらい可愛い。
365日毎日可愛い。
家族全員が黄菜子に籠絡されるのに時間はかからなかった。
思えば黄菜子が家に来てからの一年間が、家族が揃って平穏に暮らせた最後の一年だった。

黄菜子が来て次の年の夏の終わり、主人が致死性の難病に罹患しているのが分かった。
目の前の世界がひっくり返る事が、本当にあると思い知った。
一週間ほど、食べる事も寝る事も出来なかった時、夜中布団の上で目を開けると、いつも黄菜子が近くで寝ていた。
普段は冬にならないと布団には入って来ないのに、この時は何故かずっと近くにいてくれた。
不安にさせてしまったかなあと思う。
この時の事を思い出すたび、「ありがとう」と「ごめんね」が入り混じる。

そのまた次の夏の始め、主人の病気の進行に翻弄される中、末期癌だった私の父が亡くなった。
そしてそのまた一年後、父の一周忌を終えた一週間後に、主人は亡くなった。
私にとってこの時が生涯で一番長い2年間だった。

この間も黄菜子は毎日平常運転。
どんなに疲れた朝でも、たとえ葬儀から帰って来た時でも、生きる為にご飯を要求する。
それに救われた。
これで良いんだと。毎日毎日、ただただ生きる。


今、一番恐れている事。
「黄菜子がいなくなったらどうしよう」
想像するだけで涙が出る。
何事も無いみたいに膝の上で丸くなってアクビしてるこの猫がもし…と思うと。


「ペットロス症候群になってしまうかも症候群」
どう乗り越えるかが、今後の課題😓

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