梅仕事とアルバイト
前書き(日々の雑感)
映画のことはまた今度、書きます。今日はただただ赤穂の日常です。フランス寒くなってきたので赤穂に帰りたくなってきました。そういえば先日、全く予備知識なしでアニメBLEACH見てみましたが全く意味が分かりませんでした。当時、読んでいなかったので残念。そのかわりと言ってはなんですが、ぼっちざろっくとブルーロックを見始めました。写真の挿絵は上郡図書館に、飾ってあったもので私が書いたものではありません。
本編です
初夏だったと思う。
ある日、大家さんから
「梅仕事、興味あります?!」
とラインがあった。
梅仕事?はて?
梅仕事とは何か?
妻に聞いてみると、梅を収穫してジャムにしたり梅酒にしたりすることを「梅仕事」というらしい。
特に興味があるわけではないが、なんとなく「移住っぽい」ので参加することにした。
アパートの近くの広場に大家さんの友達が梅を植えていて、友人と収穫するのだそうだ。行ってみると大家さんも含め、初老ではあるが逞しいおじさんたちが数人、既に準備を始めていた。まずいらない枝を切り落とし広場の隅に集める。その後、見たことないくらいの巨大なブルーシートを敷き詰める。そして竿で梅の枝を揺らし梅を落とす、という非常に単純ではあるがなかなか骨の折れる作業だった。
さらに梅は上から落ちてくるので、自分の顔面に直撃する可能性もあった。作業は午後も続いたようだったが、私は午後でお暇した。
初夏の陽気、今思い返すと眩しい光景が思い出される。
そのあとダンボール1箱分くらいもらって帰り、近所のダイソーで梅をつける瓶を買ってきて梅サワーを作った。余った梅を梅ジャムにしてみたけど、あんまり美味しくなかったので最後まで食べることはできなかった。
サイクリングに一緒に行ってから一年近く経っていたので大家さんと久しぶりに遊べて楽しかった。思い返せば大家さんとから誘ってもらったのはそれが最後で、そのあとは特に移住らしいことはしていない。
そのころの私たちはというと、相変わらず近くの図書館で研究の準備をしたり、近所を散歩したりしていた。
京都にいた頃に比べると妻の体調もかなり良くなってきていたし赤穂の風土や食べ物は本当に私たちに合っていた。妻は相変わらず社会的には引きこもり気味だったが、自然へはたくさん出かけていたし生き物としての生気をかなり取り戻しつつあるようだった。
そんなおり、コロナ禍で延長された失業保険もそろそろ終わりを告げようとしていた。赤穂には図書館の隣にハローワークがある。まだフランスへは行けそうになかったし、
「そろそろアルバイトでもしないと懐がまずい」
と考え出していた。無職でお金のことを考えるのは本当に気が重い。
どうせ短期のアルバイトなんてないんだ!と諦めていたころ。
最後の認定日、ハローワークに行ってダメもとで私は
「アルバイトでもいいので作業療法の仕事ってありますかね?」
と尋ねた。
すると担当の女性は、ちょうど募集が来ている、と訪問リハの仕事を紹介してくれた。
その場で、事業所に電話してくれて、あっという間にその日の午後の面接の約束を取り付けてしまった。
その事業所は赤穂から少し離れた上郡というところにある。
ちょうど作業療法士が抜けてしまって困っているということだったので、すぐに採用された。
アルバイトを断られ続けていたのに、なんたる偶然。しかも次の4月で退職するかもしれないと正直に言っても問題ないと言ってもらえた。
私は、ついにバイト受かったのだ!
なんとなくまた赤穂に「棲む」感じがして嬉しかった。
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