見出し画像

真面目に婚活をしていた頃の話

【アラフォー非常識恋愛コラム・その9】

一日あいてしまいました、こんにちは家路です。
明日は節分。節分といえばつまり、
厄年が始まったり終わったりする時期な訳で、思い出しました。わたしは女の後厄だった33歳の1年間、かなり真面目に婚活をしていました。こんなの読みたくない人も多いかな、でも個人的に貴重な体験だったのでかなり悩みましたが思い切って書きます。

さて、以前からわたしのnoteを読んでくださっていた方はご存知かと思いますが
わたくしバツイチです。二十代半ばで結婚、一年ほどで離婚。子供は授からなかったので自分の中では「家族を巻き込んだ、ちょっと大げさな失恋」ぐらいの感覚だった。結婚する前も離婚した後も、ずっと同じ会社で働いており(結局十年ほどいた)、再婚したかったのだけど社内では人間関係がほぼ固定されたままで、結婚につながる出会いはなく。そして社外では離婚後に再びやってきた自由を満喫するべくかなりいろんな人と出会って恋をしたりもしていたのですが、相手は芸人さんやミュージシャンなどの浮草稼業の人ばかりで、どうも結婚には至らないことばかり。

30歳をまたいだ数年後、婦人科系の病気でヒヤリとしたりしたのをきっかけに女人生を見つめ直し、できれば子どもも産みたいし、と思い切って周囲には一切内緒で大手結婚相談所の会員になった。当時は会費も割とかかって、ちょっとした海外旅行ができるぐらいのお金を一年で費やした。

で、実際の婚活はというと。今思えば面白い経験だった。人には正直なところ、おすすめできないけれど。毎月数人の男性と会うわけですが、これがまた実にバラエティ豊かというか、同年代でそう遠くない土地に暮らしているというのに、バックグラウンドの違う人と話すと「普通」がなんなのかよくわからなくなってくる。メールの返事が5分以内じゃないとキレる人、大好きな十代の女性アイドルについて延々話し続ける人、毎日読み終わるのに1時間はかかる長文メールを送ってくれる人。食事をしてお会計の後に店の前でキレる人(レジでは男性に任せて、外で半分渡すのが当時のスタンダードだった、確か)。まぁ、それぞれに「俺の普通」があるんだなー、と。結局年間で四十人近い人と出会ったし、会っている時はつとめて楽しく会話をしたけれど、ステディな関係に至ったのは一人だけ。

振り返れば面白くはあったし、結婚に挙げる条件が譲れない人には必要なサービスだと今でも思うけれど、当時の自分はなんだかスーパーに陳列された商品になったような気分だった。自分語りばかりが送られてくるメール。婚活してるぐらいだから、誰かに愛され受け容れられたいのはこっちだって同じなんだけど、まずはこっちから受け容れてあげないといけないのかな、わたしのこと悪気なく「思いがけない掘り出し物」と言った人もいて、誰かとの間に静かにシャッターを下ろすことがあの一年間でとても上手くなった。なので親しい人にはおすすめしたくない。それよりその時間とお金で趣味でも勉強でも興味のあることを今からでもやってみたほうがいいよ、ってきっと話すだろう。当時の恋愛のスタンダードだった、いわゆる「愛され」や「モテ」のテクニックは表面的に装着できる鎧みたいなもの。手にとって貰う確率をあげるためのもの。出会った後に同じ未来を描けないと、なんの意味もない。そこには誰かから借りたテクニックなんて、通用しないのだ。

後厄が終わる頃、婚活で出会ったステディの人と別れた。破局に至ったのは、以前から友人だった現在の夫と再会したから、だった。

まだ寒いこの季節に春の兆しを見つけて立春と呼んだ、はるか昔のひとのことを思っている。

#恋愛コラム #婚活 #アラフォーの恋愛 #大人の恋愛 #アラフォー #恋愛 #大人になったものだ

いいなと思ったら応援しよう!