手相が予言した「2人の息子」は猫だったのかもしれない
昔々、本当にずいぶん昔のこと。おそらく私がまだ30代になったばかりの頃だったと思う。
手相観(テソーミ)として有名な日笠雅水さんに手相を見ていただく機会を得たことがある。
当時、私が勤めていた出版社で、日笠さんが連載をまとめた本を出されたのだけれど、それを記念して1人15分ずつ希望の人の手相を見るという会がおこなわれた。
手を挙げて見事その権利をもらい、指定された時間に会議室に入った。
手のひらを広げた瞬間に、おめでとうございますとおっしゃった。本当に良い手相ですね。こんなに良い手相の人はめったに見ることがありません。素晴らしい人生ですよ。
もしかしたら他の人にも同じようにおっしゃっているのかもしれないけれど、若い私はその言葉だけで舞い上がった。
やわらかい木のスティックで手の相を指しながら、ひとつひとつ丁寧に説明してくださった。お金には困らないこと。晩婚になりそうなこと。そして息子を2人育てそうだということ。
あっという間に15分経った。
晩婚は当たっていた。しかし、子どもをもうける間もなく、私にはもっと他の人生があるのではないかと離婚を選択してしまった。その後は結婚はもちろん、恋愛にもまったく恵まれず、結局、出産可能な年齢をとうに過ぎてしまった。
会社を辞めてフリーランスになってから、なんとかこれまで生きているけれども、依頼が途切れたり、予定していた仕事がなくなるなどピンチの時もある。そんな時は、急にまったく違う仕事の相談がくるなどして、奇跡的にしのいできた。貯蓄はちっとも増えないけれど、お金に困らない生活を送っていると言っても良いと思う。
ただ、これが2人の息子を表すのよとおっしゃった線が確かに私の手のひらにあったのだけれど、こればかりは手相とは違う人生になったのかなあと考えていた。
最近、このことをふと思い出したとき、私はあっと声を上げた。
我が家にいるノルウェージャンフォレストキャットという種類の2匹の猫のことが浮かんだのである。もう7年近く一緒に暮らしている。この猫たちは、私が初めて自力で飼った猫であり、2匹とも男の子なのだ。
ああ、日笠さんのおっしゃった2匹の息子というのは、もしかしたらこの猫たちの事だったのか。そう気がついて、時折、思い出しては眺めてきた自分の手相を見つめた。
実家に犬も猫も大勢いるという生活を送ってきた私は、東京でひとり暮らしを始め、動物とは縁がなくなった。出張も多く、思い立ったら旅に出るという日々を送っていたこともあり、命を預かる自信がなかった。
ところが、50歳を目前にした時に、偶然の出合いでノルウェージャンフォレストキャットがわが家に来ることになった。その半年後にもう1匹同じ種類の猫もやってきた。
3年前に父親が亡くなった後に実家に残された老猫を4匹、引き取ってくるという出来事があったが、私が小さい頃からこの手で育ててきたのはこの2匹の猫たちだけなのだ。
やんちゃでわがままで手がかかるけれど、猫たちはいつもそこにいて、フサフサの毛をたくわえたからだとキラキラと輝く目で饒舌に私に語りかけてくる。その存在にどれだけ救われてきたことかしれない。
実は、日笠さんに言われたことで、もうひとつ覚えていることがある。それは、私の人生が50歳で全く違うものに変化するということだ。
思い返してみると、ちょうど長年勤めた出版社を辞めて、大学院に行き、物書きの自覚をもってエッセイの仕事を始めたのがその頃だ。未だに編集者の仕事もおこないながらの執筆で、順調とは決して言えないのだけれど、経験したことや感じたことを写真や文章で伝えていきたいという思いは、確かに会社員だったそれまでとは違う道だと思う。
聞けば手相は数か月で変わってゆき、その人の今をあらわすという。今の私の手相は、日笠さんに見ていただいた時とはまったく違っているのかもしれない。
でも、「おめでとうございます、素晴らしい人生ですよ」と言っていただいたことを思い出しては、パッと視界が明るくなるときがある。ままならないこともあるけれど、これが私の素晴らしい人生、と確認しながら歩いていけている気がするのだ。