感情パラメータ
僕は人の感情が分かる。比喩ではない。実際に『見える』のだ。
それは相手の頭の上に円グラフの形で表示され、その人の感情の中で「喜」「怒」「哀」「楽」がそれぞれどのくらいの比率なのかが分かるようになっている。
子どもの頃はわりと便利だった。
例えば友達がワンワン泣いているときに、怒っているのか、悲しんでいるのかがグラフを見れば一目でわかる。それに応じて僕は「ごめんね」とか、「悲しかったね」とか適切な対処をすれば物事はスムーズに進んだ。
それは大人に対してもそうだった。
だからその当時の僕に対する大人の評価は当然「この子は物分かりがよくて素晴らしい」というものだった。
でもそれもつかの間だった。
グラフの中の「喜」「怒」「哀」「楽」パラメータの他に、「その他」の項目が出現したからだ。
僕が成長するにつれて「その他」の割合は徐々に大きくなっていき、どう対処していいか分からないことが増えた。
ある時僕は「その他」の中の項目をさらに任意に分類することができることに気が付いた。
きっかけは好きな子が出来たことだった。
その子が僕をどう思っているかがどうしても気になって、「その他」の中に「好き」と「嫌い」の項目があればいいのにと考えていたら、次の日には「好き」と「嫌い」のパラメータが増えていた。
残念ながらその子のパラメータは「嫌い」の割合が「好き」を上回っていて、僕は告白する前から見込みがないことに気づかされたのだけど。
その時はさすがにこの能力を忌々しく思ったものだった。
パラメータを分類できることに気づいた最初の方こそ、僕は人の感情を自分なりに分類して表示するように努めていたのだけど、そのうちそれもやめてしまった。
どれだけ感情を頑張って分類しても、徐々に「その他」が大半を占めるようになってくることに気がついたのがまず一つ目の理由。
二つめの理由は新しく好きな子が出来たことが関係している。
今度は「好き」の割合がずいぶんと大きくて、必ず成功すると分かっている告白が成立し晴れて恋人同士となったのだけど、付き合いだしてからも彼女の感情パラメータは毎日「好き」と「嫌い」が激しく増減を繰り返していた。これではせっかくのパラメータの意味がない。
ふと気まぐれで彼女の感情に対して「好きだけど嫌い」「嫌いだけど好き」のパラメータを入れてみたら、見事にその二つは同じ割合だった。こんなのどうすればいいんだ。
これらの出来事をふまえて最終的に僕がたどり着いた結論は、たとえ目に見えようが見えまいが、人の感情なんてものはそうやすやすと判別できるものではないということ。
なまじっか目に見えてしまっていただけに、僕はそのことに気がつくのがむしろ人より遅れてしまったのかもしれない。
今ではもう感情パラメータの表示をオフにして日々生活している。
その代わりにその人の表情や仕草や目の動き、態度を注意深く観察するようになった。パラメータを直接見ていたころよりも、むしろ今の方がその人の感情が分かるような気がしている。
本当のところはもちろん分からない。
けれど本当のところなんて知る必要があるのだろうか?
僕が笑って、恋人が笑う。
それでいいんじゃないか。今はそう思っている。
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