ウグイス男子・候補者の場合2
「事務所の皆様、お疲れ様です。丹下源太遊説隊が、ただいま事務所に帰ってまいりました」
事務所から何人かが迎えに出てくるのが見え、ウグイス君がマイクをオフにする。
「丹下さん、野瀬さん、お疲れ様でした。午後もよろしくお願いします」
「ああ、ウグイス君もお疲れ様。一緒にお昼食べよう」
「ありがとうございます。ご一緒させていただきます」
野瀬さんが事務所の前に車を停めると、小熊君が「お疲れ様でーす」と、助手席のドアを開けてくれた。
「どうでした?」
「いやぁ、緊張したよ。初めてだったから。でも野瀬さんとウグイス君のピッタリ息の合ったプレイでずいぶん助けられたよ」
野瀬さんはとっとと手を洗いに行き、ウグイス君は備品を揃えてゴミ袋をまとめている。昼食の前にやっつけるとは、俺も見習わないといけないな。
「午後も出られますよね」
「もちろんそのつもりだよ。初日だしね!」
小熊君もいくつかの選挙事務所で働いたことがあるというだけあって、いろいろな事務手続きをサクサクと進めてくれる。俺のようなまるっきり人脈の無い無所属の新人にはありがたい戦力だ。
「もうそろそろ戻られると思って、三人のお茶とお弁当を席に準備してあります。今、個人演説会の会場、手あたり次第聞いてますんで、まずはお昼とっちゃってください。丹下さん、今日はゆっくりしてる暇はありませんよ」
てきぱきと動きながら俺の日程を管理してくれる優秀な秘書だ。
え? 秘書?
なんか、カッコイイじゃん。俺の秘書。いい響き。チョー大物になった気分だ。
年甲斐もなくルンルン(死語だな)しながらトイレに行くと、ウグイス君がうがいをしているところだった。
やはりウグイスは喉を大切にするんだな。彼のプロ意識の高さにはいろいろ勉強させられる。
手を洗ってウグイス君より先に戻ると、野瀬さんが先に弁当を食べ始めていた。
「お疲れさん」
「野瀬さん、早いですね」
「のんびりしちゃいられねえからな。丹下ちゃんもくつろいでる暇はねえぞ」
そう言って、除菌ウェットティッシュをこちらにドンと置いてくれる。この人も大雑把に見えてかなり繊細な人だ。
「そうですね、初日ですからね」
俺は早速お茶を飲むと、肉をがっついた。まずは肉だろ、肉!
「いやぁ、しかしウグイス君、ナイスですね。さすがプロって感じですね」
「あ~、あの子、ウグイスは今日が初めてだよ」
「え? 初めて? マジで?」
「おう」
選挙の遊説車は候補者一人につき一台しか出せないことになっている。そういう決まりなのだ。だから、どこの事務所もウグイス嬢は慎重に選ぶ。
ウグイス嬢で選挙の行方がほぼ決まってしまうからだ!
それを、男子でしかも初めてマイクを持つド素人だと?
そこにウグイス君が戻ってきた。俺の隣に座ると、手を合わせて「いただきます」と言った。
俺は直前まで「今日初めてなの?」って聞こうとしていたことを、すっかり忘れてしまった。
……俺は『いただきます』と言っただろうか。
『お年寄りと子供に優しい街づくり』をスローガンに、二児の父であることを売りにしている俺が、『いただきます』を言わない……いくら忙しくても大切にしなければならないことはあるっ! 気づいたら、気づいた時に即実行する、それが丹下源太だ!
「いただきますっ!」
「いや、もう食ってんじゃねぇか」
「言い忘れていたことを、ウグイス君を見て思い出したんですよ。父親がこんなじゃ、子供はきちんと育たないですから!」
ウグイス君はきょとんとしているが、野瀬さんはくすくす笑ってる。いつものことだからではあるが。
野瀬さんは俺が高校生の頃からの知り合いで、いつも「丹下ちゃん」と言っては何かと世話を焼いてくれている。俺にとっては二人目のオヤジのようなものだ。ぶっちゃけ、野瀬さんがいなかったら今の俺は無い。
今回このウグイス君を見つけて来てくれたのも野瀬さんだ。とは言え、本人たちは初対面らしいが。
俺たちが和気藹々と弁当を食べていると、小熊君がやってきた。
「丹下さん、個人演説会ですけど、急遽場所が取れたんで、今晩お願いします」
「おっ! ありがとう、よく取れたね!」
素晴らしい! なんて有能なんだ! 絶対無理だと思ったのに。
「選挙戦が終わった時、『小熊を仲間にして良かった』って言わせてみせますよ」
「ぐはぁっ、なんと心強い! 俺はいい仲間に恵まれたよ!」
俺が感極まっているところへ、横から冷静過ぎるウグイス君の声が割り込んだ。
「時間と場所、お願いします」
もうメモとボールペン出てるし。早いっ。
「あ、そうでした。ええと、二十時から空豆谷公民館第一会議室です」
「応援弁士はいますか」
「いえ、単独で」
「承知しました」
さっとメモを取り、あっという間に昼食を終えたウグイス君は、漢方薬ののど飴を一つ口に放り込むと「良かったらどうぞ」と俺たちにも分けてくれた。
こちらにくれたのは漢方じゃなくてフルーツ系だ。さすがに漢方ののど飴を貰っても嬉しくないが、メロンとぶどうなら俺の大好物、気分アゲアゲだ!
と、そこへ食後の一服をふかしていた野瀬さんが「午後の作戦詰めるぞ」と話を振ってきた。
「今日は初日だし、名前をまず覚えて貰わんとな。午前中は地元だけを徹底的に回ったが、午後からは全域回るからそのつもりで覚悟しとけよ」
「流しと告知でいいですね」
「ああ、それでいい」
ん? 流し? 告知?
「いい、いい。丹下ちゃんはとにかく顔を見せて手を振っとけ。声援貰ったら手を振ってアタマ下げるだけでいい。あとはウグイス君が丹下ちゃんを誘導してくれるから心配すんな」
「あ、午前中は助かったよ、ほんと。ウグイス君、三百六十度全方位に目がついてるのかと思った」
「それがプロってもんだ」
野瀬さんがニヤリと笑う。なんなんだこの余裕は。俺だけか、未だに緊張しているのは。
「流しはオレのナビが多く入るから、丹下ちゃんは邪魔すんなよ。午後からはオレとウグイス君で回して行くから」
…………えーと。
候補者、俺なんだけどな。
いや、でもその方がうまく事が進むならそこら辺はプロに任せて、俺は言われたとおりにした方が良さそうだ。俺の出番は夜の個人演説会にある!
「わかりました。野瀬さん、ウグイス君、午後もお願いしますっ!」
二人に向かって頭を下げると、野瀬さんが煙草を灰皿に押し付けた。
「よし、それじゃ午後の部、出陣すっか」
「はいっ!」
俺とウグイス君は元気よく返事をした。