ぼくの名前は茜2
ぼくたちミニチュアピンシャーは、ドーベルマンピンシャーとよく似ている。そのために、ドーベルマンピンシャーを小型化したと思われているようだ。でもそれは、少し違っている。古くからドイツにいる、スタンダードピンシャーという中型の狩猟犬をご存じだろうか。2百年から3百年前ぼくたちは、ドーベルマンピンシャーではなく、スタンダードピンシャーを小型に品種改良して作られたのだ。
ドーベルマンピンシャーは、それよりもずっと後の時代になってから、やはりスタンダードピンシャーを改良してドーベルマンピンシャーという大型犬となった。作った人の名前がドーベルマンだった。やがてドーベルマンピンシャーは、警察犬として活躍して、あまりにも有名になったために、スタンダードピンシャーの名前を聞かなくなった。今では、スタンダードピンシャーの数が少なくなって、とても貴重な存在となっている。
いずれにしても、ぼくたちの大切なご先祖さまは、このスタンダードピンシャーというわけだ。
さて、今から13年前の10月15日。
埼玉県の静かな住宅街に、5匹のミニピンが誕生していた。
レッドのオス一匹。ブラックタンのメスが二匹。ブラックタンのオスが二匹だった。メス二匹はすぐにもらわれて、オス三匹が残っていた。
このレッドのオスが、ぼく「茜」のこと。
レッドのぼくは、ブラックタンの弟たちよりも、少しだけ大きくて強かった。ミルクもたくさん飲んでいた。
十一月のよく晴れた日のことだった。あとあと、ぼくのご主人様になる人が来た。ブラックタンの弟がほしくて見に来たらしい。弟は、もらわれてから「黒太」という名前になっている。ぼくはその時、別の弟と遊んでいた。ぼくは、お兄さんだからね。ご主人様になる人は、それを見ていたと思う。ぼくのことを頼りになる兄貴だと言っていた。
まもなく十二月になり、クリスマスの音楽が聞こえるようになった。
ぼくは黒太と一緒に、もらわれることになった。埼玉県から静岡県浜松市まで、5時間半も車に揺られて、気持ちが悪くなってしまった。本当のことを言うと、ぼくは、もらわれたことを知らなくて心配だったんだ。浜松の家について、もらわれたことがわかった時には、嬉しくて「ウオーン」とないてしまった。
ご主人様の家族は4人。お父さん、お母さん、おばあちゃんがいる。ご主人様は、本を作る仕事をしている女の人だった。お父さんがすぐに、木をうちつけて犬小屋を作ってくれた。それをリビングに置くと、まわりをトレリスで囲った。犬小屋の横には、トイレシートが敷いてある。ぼくたちの庭付きの家が出来上がった。
埼玉にいたときは、ダンボール箱の中に暮らしていたから、新しい家がずいぶん大きく見えた。かっこよくて嬉しかった。
おばあちゃんや、お母さんも、入れかわりたちかわり見に来てくれる。だっこして、かわいいというから、ぼくは兄貴なのに、だっこされるのが大好きになった。
ぼくたちの庭、つまりリビングの床は、つるつるしていた。ぼくたちは、歩くたびにすべってころんでいた。
それも一週間もすると慣れて、犬小屋の上にも飛び乗れるようになった。ジャンプがおもしろくて、何度も飛び乗って遊んだ。
弟の黒太は、ジャンプに興味がないようだった。ぼくだけが、乗ったりおりたりして、ジャンプが大得意になった。
トレリスの穴は大きくて、ぼくたちの体が通り抜けられる。ぼくはサーカスみたいに穴をくぐり抜けて遊んだ。
毎日が楽しくて、新しい生活もあっという間に、三ヶ月が過ぎていた。
ある日ぼくは、いつものように遊んでいた。
トレリスの穴をくぐろうとして顔をつっこんだ時には、すでに遅かった。いつの間にかぼくの体が大きくなっていたんだ。顔だけがはまって抜けなくなった。さすがにぼくも、怖くてかたまってしまった。黒太はおろおろしてワンワンなくし、ご主人様も泣き出して、大騒ぎになった。この時ばかりは、楽しいなんて言ってられない。結局お父さんがトレリスを、のこぎりで切って、ぼくの首を抜いてくれた。
「ああ怖かった!」
ぼくの起こした初めての事件である。
またある日のこと。
ぼくは、外の庭に置いてあるサークルの中でひなたぼっこをしていた。もちろん黒太も一緒だよ。ぼくは、ひまだったから、ジャンプの練習をすることにした。「えいっ」とばかりに、思い切り飛び上がり、からだをひねったら、空中に体が浮かんだんだ。ぼくは、自分のジャンプ力にほれぼれしてすっかりのぼせてしまった。着地したところは、サークルの中ではなかった。サークルを超えて、庭に出ていたのだ。
ぼくは、得意になって庭の外に出てしまった。家の前は横断歩道があるような広い道になっていて、あやうく車にひかれるところだった。いつもぼくと遊んでいる近所の小学生が通りかかって助けてくれなかったら、どうなっていたかわからない。ぼくは助かった。黒太は、何もなかったように、サークルで寝ている。
これが二つ目の事件となった。
気付くと、辺りは桜の花が満開になっていた。
弟の黒太は、相変らずおとなしい。ぼくのあとをついてくるけど、おりこうに遊んでいる。ぼくは「茜」という名前が好きだったし、黒太と一緒にこの家で暮らすのが楽しくて幸せだった。
「ウオーン」とないたら、ぼくの短いシッポが、バレリーナみたいにくるくる回った。