アデル 第二十四話 等
曇天のもと、寒風吹きすさぶ閑静な住宅街である。通りには人影もない。そこに軍用トラックという異様な光景だった。ジタンを下ろした軍人が五味に疑問を向けた。
「指示書の通りですが……本当に良いのですか? 確かにいまのところ、私の命令に背いたりはしてませんが」
「いいんだ。ご苦労だった」
五味のほうが階級が上らしい。再び敬礼をした相手は、すぐに引き上げていった。
ジタンが家に入ると、途端にアデルが抱きつく。それを横目で見ながら、夕星は苦笑いを浮かべた。
「よくこんな指示が通りましたね」
「指示書の偽造なんて簡単さ。ジタンに私のことを信じさせるよりは、よほどね。ジタン、これから君は私と一緒に雲隠れだ。準備を終えたら、今日中に空港に向かう」
五味の向けた言葉に、アデルを首にぶら下げたままジタンが頷いた。もう以前のような嫌悪に満ちた表情ではない。
「アデルに会えるっていうから来たけど、スクラップの覚悟はしてた。任せるよ」
人間で言うなら、死を覚悟していたということだ。いくらアンドロイドとはいえ、心を持つジタンの気持ちがどんなものなのか。夕星には思い馳せることも出来ない。
アデルはまだジタンに抱きついたままである。残り少ない時間をジタンの癒しに使うと判断したらしい。
「さて、準備に取り掛かるぞ。夕星、手伝ってくれ。今くらいはアデルを貸してやってもいいだろ?」
「あ。はい」
五味は夕星をガレージに連れて行った。逃避行ともなれば、今のジタンでは目立ちすぎる。外観を変えるため、AIの移植作業をするのだ。
ガレージに置かれた作業台の上には、アデルと同年代ほどの女の子の機体が寝かされていた。五味が個人で製作したらしい。やはりただ者ではなかったと、夕星は目を見張る。愛らしい外観だった。アデルと並べばお似合いのカップルである。アンドロイドにそれが適用されるのかは、さておき。
部屋に残された二体のアンドロイド。アデルがジタンの胸にすりよった。その背に力強い腕がまわされる。
「アデル」
「なに?」
「いつか、また会えたらいいな。俺はお前が好きだ」
「好き?」
「そう。アデルには分からないだろうけど、覚えていてくれ。俺がアデルのことを好きだということを」
「うん。ジタンは僕のことが好きなんだね。いつかまた会いたいんだね」
「そうだアデル。また会おう。次に会うときは、アデルに心があるといいな。でも、それだとフラれるかな」
そうもらすと、ジタンはカラリと笑ってみせた。ソルジャータイプらしい強さが垣間見える。多くの修羅場をくぐり抜けてきた彼にとっては、逃避行などさしたる問題ではないのかもしれない。
移植作業の準備ができた五味から声がかかった。ガレージにある少女の機体を見ると、ジタンが肩をすくめる。
「五味。変身するのは構わないし、むしろ有難いが、間違ってもあんたのお相手はしないからな」
ジタンはそう言いながらニタリと笑うと、アデルを再び抱き締めてから台に上った。
◇
作業が終わり正常に作動することが確認されると、最小限の荷物で五味とジタンは家を出ていった。
暗くなった路地。二人を乗せた車のテールランプが角を曲がり見えなくなる。
「行っちゃったね」
アデルがぽつりとつぶやく。そう。今のアデルには、ジタン達が去ったという事実しか認識されないのだ。そこに感傷はない。夕星だけが、五味とそしてジタンの決意に気圧される思いでいた。
心を与えて利用したことに責任を持つ覚悟。ジタンを対等な存在と見ていなければ出来ないことである。データを手にいれたあと、五味はジタンを破壊することも出来たのだ。軍から離脱するのなら、一人のほうが都合がいいはずである。
五味の選んだことは、夕星にとり驚愕の連続だった。自分はアデルに対して恋愛感情を抱きながらも、なにひとつ覚悟していない。選択によるリスクなど考えてもいない。自分にとってのアデルは、いまだ都合のいいアンドロイドなのだ。
ノーマン教授は、人間が今のような愚かなことを繰り返すなら、もうアンドロイドに世界を譲っていいと思ったのだろう。あの隠しオプションは、その意志を示すものかもしれない。
少なくとも今の夕星は、ジタンに完敗していた。
◇
その後すぐにジタンのデータが世間に公表され、陸軍のテロリスト関係者に対する残虐な行いが明るみになった。倫理観の欠如。その背景にあるアンドロイド兵の拡充。しかし一方で、鎌倉のテロ事件とアデルの活躍も記憶に新しい。
人々は混乱していた。テロリスト撲滅作戦の是非。アンドロイドの良し悪し……。
そんな中、夕星はアデルの開発者として取材に追われていた。彼の最も苦手とする対人コミュニケーションである。
際どい出来事もあった。試作機の役目を終えたアデルが、海外の資産家に高額で引き渡されそうになったのだ。
だがそれは数河によって阻止された。
さらに高額を提示して、数河はアデルを買い取った。しかし自分では所有せずに、そのまま夕星に譲ったのである。
この一件で数河から夕星に提示された条件は……不明である。