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世間には認められておらず、大した信用もされていなく、一目置かれているわけでもない


自分のことである。
決してネガティブ発言ではない。
客観的事実である。

でも、案外みんなそうだと思う。
あなたも、私も そう。

今更、しみじみ思ったわけでもない。
昔、まだ幼いと言えるころに思い始めたことだ。
たまに忘れるw
忘れている。
辛いから記憶からなくそうとかではなくて、そんなこと考えている暇がないほど多忙だからだと思う。

初めてそう思ったのは小学校5年生の時だった。

私は幼稚園に通っておらず、初めての集団生活は小学校だった。
ぶっつけ本番の集団生活は馴染めるものではなく、よく泣いた。
(けれど私にはあまりその記憶がない。が、こう書き始めたら、前の席のブス子(失礼、ごめん、今更ごめんw)の顔がぼんやり浮かんだから、多少いじめられていたんだろうなぁ。
そのブス子とて、いじめる顔がブスなのでそう思うだけで、本当はそんなに酷いご面相ではない…と思うw)
親は いずれ「登校拒否宣言」をするのではないか と困っていたそうだ。

しかしある日、それは変わった。
小学校2年の後半か、3年生初めかな…
私が乱暴な言葉を発し、周囲のガキどもを鞄で殴ったからだったw
それまでおとなしかったのが、急に荒々しく凶暴になり反撃したわけで周りも驚いただろう。
声も、子供にしては低い方であったから、それなりにドスが効いただろう…
(よく言えば、ハスキーな声だが、この声のせいでまた別のコンプレックスが生じた…これは別の話だ)
とにかく、それでとりあえず市民権を得たらしい。
元々成績は優秀な方であったし、運動は得意ではない(めんどくさいから)がそこそこ普通。
特にいじめるネタがない子になった。

性格も…集団生活に慣れていないというだけで、元々は明るめ。
「明るい神経質」と評されたことがあるが、乱暴者の衣をまとってしまえばそれも目立たなくなる。
乱暴者も、「物事をはっきり言う子」(但し言葉は乱暴 というか 荒い。僕っ子を通り越して、俺っ子であったw) くらいには垢ぬけた(違)

小学校4年生になりクラス替えがあった。
担任の先生の覚えもめでたく、学級員に抜擢され、班長等を任され、それなりに人気者になった。
友だちも多く楽しかった。
これが過ちの元だった。

小学校5年生になり、またクラス替え。
私の気分は4年生の時の気分を引きずったままであった。
誰でも私の話を聞いてくれるだろうし、話してもいいだろう という位置。
学校カーストで言うところの高い位置の気分を引きずったままだった。

このクラス替えでは私の仲良しの4年生の時のクラスメートは皆無だった。

新たに友人を作らねばならない (ということはないと今では分かっているが、連絡やら何やらで便宜上必要でもあるし、「友人を作る」ということが当たり前であるという風潮だった)が、
その初っ端のタイミングで、4年生時の実績からか、体に障害のある子の世話をするように担任に申し付かった。
当時も、そういった子をまとめて学習させる「特殊学級」というものがあった。
今思い返して考えるに、その子は、そこに入った方が幸せで適切な学習指導を受けられたと思われた子であった。
その子の登校、下校の付き添いなどをしているうちに、周りから人はいなくなった。
クラス内の班づくりには、必ずその子が入っており、私は班長で、その他のメンバーは何かで問題のある子。
その中で多分私は、色々頑張っていたのかな?
(これまた、あまり記憶がないw)
ある日、ぶっ倒れてしまったw
仮病ではなく、発熱で動けなくなった。

そこに至り、初めて親が5年生の時の担任に話をしに行った。
多分、私の様子が変なことは感じてもいただろうし。

中学校に入ったときには、その子は別のクラスだった。
小学校5、6年はクラス替えはなかったから、一緒ではあったけれど。

この時、別段、自分自身は寂しいとは思ったことはなかった。
ただ、この状況は、「寂しい人」と判断される というのが厄介。
変に世話を焼かれ、憐れまれるから。
そのくせ、頼りたいときにはさっと引く。
班長にはされてしまうから、「まとめる」と言うのが厄介。
好き勝手言って、全く協力しようとしなかった

やはり「あの子」の存在がネックになっていたんだろうと思う。
私といると、もれなくあの子が付いてくる。

それと… 多分、4年生の時に調子に乗ったんじゃないかなw 私。
調子に乗ってる奴、出る杭は打たれる そんなのの合わせ技じゃないかな と今は思う。

それで思った。

例え、今は私の話を聞いてくれたり、相手をしてくれたりしても
あなたを信用して、あなただからと特別に信を置いてくれる人物はいない。
身を挺し信じてくれる人なんてものはそうそういるもんではない。
ここぞという時、とても話しにくいことがあって困っている時
「何がしたいの?」
「何か困ってない?」
等、声を掛けてくれる人は、いない、いないと思った方が「いるかも」と期待してくれるより楽だ。

けれど同時に、
私が「この人」と思った相手に対しては、私がそういう人になりたい と思った。
私があの時欲しかったような人に。

つまり、タイトルの逆だ。
世間には認められておらず、大した信用もされていなく、一目置かれているわけでもない けれど 私はあなたを信じる、話を聞かせてね という人。

べたべたとくっつくわけでもない。
拒絶されれば、それまで。
別に対価として何かをもらおうと思わない。
同じものを返してくれ とも思わない。
これは、私自身の私の勝手な誓約だ。

言ったことはやる。
言わないことはやらない。
私自身はそこそこ普通に、そこそこやりたいように生きて行ければ御の字。

そうは言っても、一度出た杭はなかなか自力で引っ込めることは出来ず、
かといって 誰かに引っ込めてもらうこともできず、
悪目立ちしては、意図しない面倒ごとに巻きこまれたことも多々ある・・・(;´Д`)
そして結果として、今や普通ではない状況に生きている。

これは、日本の人が「普通」って言う尺度で測った場合のこと。
私は日本人であるけれど、異端な思考を持っているようだ。

最近、Twitterで自分が意図しない風に相手が受け取ってしまい 傷つけてしまったということがあった。

これは、私の勘違いから生じた私の油断が相手を傷つけた と言っていい事例。
多分、直接顔を見て話をしていたなら、あんなお節介はしなかった。
顔にも声にも どこかに現れ、そんな言動はストップするだろう。

それに何よりも
「この人は私の話なら聞いてくれるだろう」という変な甘え。
私は本音で話をして来て、信じていて、そこまでだったらいいけれど
最後に自分だけに課した誓約を相手にも求めてしまったことになる。

それに内容が非常にデリケートな話で、私が想像もつかない思いを重ねてきていらっしゃり、私のような新参者が突っ込んではならない部分だったと思う。

Twitterに限っていうなら140文字。
私には、そんな文字内で、日本語のテクを使って自分が思うことを正確に期することは無理である と言うのが現状だろう。

そして 小学校5年生の経験が端を発している呪文を唱える。

あなたは
世間には認められておらず、大した信用もされていなく、一目置かれているわけでもない。
あなたの誓約はあなた自身の勝手な誓約であり、相手も同じと思ってはいけない。
それを踏まえて、相手との距離感をきちっと測り、生きて行け。
それが、あなたのためにも 相手のためにもなる。

最近またこの呪文を唱えることがあった。
人が実際口にしていなことについて、このように考えていたのではないか、どうしてその考えに至ったかと推論して話すのは良くないことだと言われた。
が、私は、この小学生時の辛かった呪文習得のための期間を思うと、頷けなかった。
ケースバイケースでもあるだろう。
でも、頷けなかった。
頷いたら話はまとまり、その人とも今までのように付き合って行けたかもしれないが…

私は、小学生で、泣きながら考え方を整理し
前を向き
稀有な人物を志そうとした自分に対して顔向けができないことが嫌だった。

この一言で、音を立てて色々崩れた。
こんなことがあって、今の私が出来上がっていることを
その発言者は知らない。



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