見出し画像

一方的に受け取るということ


18:30頃、街を歩いていたら「今日もお疲れ様でした!」と手書きで書かれた画像(あくまでもスマホ上の手書き)が私のiPhone宛にAirdropで送られてきた。

思いがけない受信に、【辞退】 のボタンを押してしまった。
残念ながら、瞬時に感じたのは、不信感であった。

さくらさんという人からの送信で、きっとAirdropの受信許可をしている街行くいろんな人に送り、仕事や学校帰りの人びとを励ましているのだろう。

字面からか、わからないけど、なんとなくだけど、高校生かなと勝手に想像した。iPhoneの端末の名前だから、本名なのかもしれない。

何にも悪いことはしていない。むしろ、人によってはほっこり、励まされるし、一日の疲れも吹き飛ぶだろう。

セクハラで卑猥な画像をAirdropで
送ってくる人がいるって話をきいていたけれど、そんな悪質なものではない。

だからこそ、瞬時に押してしまった【辞退】ボタンがつらいのだ。

その画像を素直に受け入れなかった、自分は、なんて器の狭い人間なんだと思ってしまった。なんて、遊び心がないのだろうとも。

送っている本人は、画像が受け入れられた時にあぁよかった、今日も誰かを勇気付けられたと思っているのだろう。
でも、画像を拒否をされた時には、どう思っているのだろうか。

よかれと思ってやっていること、というのは本当に気をつけなければいけないことだと思っている。特に一方的であったり、実は自己満足ではないか、というところは特に注意すべきだ。

私はこの画像を瞬時に拒否してしまったことで、思いがけず、自分の器の小ささに気付かされて、とても残念な気持ちになった。

承諾した人を幸せにできたとしても、拒否してしまった人を、傷つけてしまうこともあるという事まで、想像力を働かせることができる人間でありたい。

いいなと思ったら応援しよう!