なまえ
実家の自分の部屋のベッドの下は収納になっている。
ふとんをどかしてマットレスを持ち上げ、すのこをどかした先にようやく、まるで宝箱のようにぎっしり詰まっているモノたちがある。
・授業課題のコンセプトデザインボード。
・カラフルなペンでびっしりと書き込まれた楽譜。
・好きだったアーティストの雑誌の切り抜き。
・プリクラや、シール手帳。
・小物をたくさん集めた、シルバニアファミリー。
・たくさん色のそろったクレヨンや色鉛筆。
そして、こまごましたカプセルトイたちが、手縫いでつくられた巾着の中に入っている。
その巾着や、クレヨンの箱、絵の具1本1本の「なまえ」のところにはひらがなで
きさらちさと
と母の字で書いてある。
その字を見るたびに、なんだかくすぐったいような気分になる。
自分の字ではない、自分のなまえ。
少し丸みを帯びたその文字は、ひらがなにするととても印象的で、図形のように見えてくるから、文章の中にまぎれていても、目をひくような気がして、気に入っている。
母の字で書かれた自分のなまえが書いてあるモノは、いまだ捨てることができずに、ベッドの下にそっとしまってある。
「おなまえは?」
娘の名前を聞かれることが多い。
その問いは娘へ向けられているものだとはわかってはいつつ、まだ聞かれて自分の名前をはっきり言える年齢ではないため、代わりに親である私が応えることになる。
一応その問いに本人が応えているように、娘の手を人形のように操るものの、これが正解なのかいつもわからずに、戸惑いも存在している。
大体すんなりと「〇〇ちゃんね!」と理解してもらい、操り人形師から解放されるので安心する。
これが、もし工夫を凝らしすぎた名前だとしたら、何度も聞き返されたり漢字を1文字ずつ説明しなきゃいけなかったり、大変なんだろうなと思う。
それは、その子が一生聞き返されるものだから、
ありきたりが良いとまでは言わないけど、わかりやすいほうがいい。
娘の名前を決める時、最終的には候補が2つあったけれど、出てきて顔を見た瞬間完全にこっちでしょという顔をしていたので不思議なものだ。
もし、もう1つの名前になっていたら漢字を1文字ずつ説明しなきゃいけないパターンの名前だったし、なんだか毎回めんどくさいという理由で、自分の名前を嫌いになって欲しくないので、今のところは良かったなと本人の代わりに思う。