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2023年に伊藤さん精神国賠パンフレット第七版用に書いた元原稿

2023年に
伊藤さん精神国賠パンフレット第七版用に書いた
元原稿

 信州のトアル精神病院に、入院していた。忘れられないのは、あの事件のことだ、それまでに、もちろん、いろいろと、こうなる状況はあったのでは、あるのだが、それにしても、いきなり走ってきて、医者が後ろから、飛び掛かってきて、リノリウムのあの固い冷たい床に、殴り倒されて上から馬乗りにされて、首を絞められた。それでも足りずに、今度は引きおこされて、何発も、顔面に貰った。もう一度、倒れた時は、ほとんど、気を失いかけてた。周りは呆然と、立ちすくんでいた。患者さん達や、看護婦や、作業療法士達がまったく、身じろぎもせずに、凍り付いたかのように凝視していた。まるで、時間が止まっているかのようなスローモーションのような不思議な感覚だった。その時、仲の良かった患者さんがスッと近づいてきて耳元でささやいてくれた。「医者にはさかろうたらあかん、入院中は絶対に医者にはさかろうたらあかん」あの時、それは、とても、勇気ある行動だったと想う。
 その時、ナニカが解けたように、そこにいた全員が一度に動き出した。その精神医は、一人で、白衣をひるがえしながら、立ち去って行ったのか、、、ボクの方は、ようやく看護か誰かに助けおこされた、よく憶えていない、ともかくも、病棟に戻ると、さすがの病棟婦長が、おれを一瞥して、青くなっていた。後で鏡を見ると、顔と首の回りが、ナントモハヤ、凄いことになっていて誰が見ても、ナニかあったと、わかるわけだった。普通なら、内科かなんかで、レントゲンを撮ったり、一応なんか検査かした方が良いのだろうが、ナンにもなく、詰所でナンカ貼ってもらったような気がするが、よく憶えていない。
 何日かたって地元の地方紙が、早速にカンづいて入院中のボクに取材を依頼してきたから、騒動になった。誰かが、外に、漏らしたんだ。後で考えると、院内の医師達の派閥争いに利用されたようだった。ボクはモチロン、取材を断った。入院しているんだからね。断ったにもかかわらず、新聞記事になってしまい、院内で、医者が、入院患者を暴行、と云うような、実にベタな見出しの小さな記事だったと想う。ドコかに、記事のコピーが取ってあるはずなのだが、しかも、その後、その医局長、学会参加で泊まった旅館かなんかで酒を飲んでて、今度は副院長を殴っちゃったみたいで、それも、新聞記事になってしまった。
 ソンななかでも、ホンと、オカシな雰囲気の中入院セーカツは続いたんだ。なぜだか、おれ、県庁に向けて、その医局長への処分はしないでくれと云う趣旨の文書まで、書いて提出したんだから、ホンとに、オカシなコトだったんダ。バカゲたハナシだと、想う。そして、そう、退院した時、たった一年近くのコトだったのだが、それでも、その時には昭和ではなく、平成になってたし、ともかく、景色が、違って見えた。この事件でボクの人生が変わってしまった。この後、ボクは、十年もたたないうちに三回目の入院を、それから五年もしないうちに立て続けに四回目五回目の入院をすることに為った。
京都伏見 前進友の会やすらぎの里作業所 江端一起 62歳


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