「最終章」でも感じたコントラストの弱さ、「ゴッドファーザー(最終章)」
「ゴッドファーザーPartIII」を観た時、「画面が明るい。赤い」と思ったわけです。
「ゴッドファーザー」も「ゴッドファーザーPartII」も暗くて青い。どちらも逆光の場面が多く、特に「ゴッドファーザーPartII」なんぞは撮影ミスじゃないかと思うくらい暗かった記憶が。
Prime Videoで「ゴッドファーザーPartIII」のいわゆるディレクターズカット「ゴッドファーザー(最終章):マイケル・コルレオーネの最期 」を観て、改めて「明るい」と感じました。
陰影が浅いというか。
冒頭がパーティーの場面なのは「ゴッドファーザー」と同じ。でも、マーロン・ブランド演じるドン・コルレオーネが葬儀屋のボナセーラに「娘の仇を打ってほしい」と懇願される場面の暗いこと。
三男マイケルが小さなレストランで警察署長と敵対するマフィアのドンを射殺する場面も、レストラン周辺からして暗いし、建物の中も青っぽい。
「ゴッドファーザー(最終章)」は明るくて、色が暖かくて鮮明。目が疲れないし見やすいんだけど、映画にそれを求めてはないので。
舞台が現代で照明設備も現実に高性能になっているから、明るくなるのは理にかなってはいるのですが。なぜかなじめない。
改めて見直すと、内容もPartI、PartIIとベクトルが異なる。PartI、PartIIではマイケルがどんどん「嫌な奴」になっていく過程を描いているわけです。マフィアの世界に首を突っ込み、裏切り者とはいえかつての仲間の殺害を指示し、挙げ句の果てに実の兄まで死に追いやる。
この非情さと、家族への愛のコントラストが美しかった。
ところが「ゴッドファーザー(最終章)」でマイケルは、そんな自分を反省してマフィアからの脱却と、「善人」への転向を図るわけです。別れた妻との愛を呼び戻し、その間に生まれた長男が音楽の世界に飛び込むのも、当初は反対していたのにあっさり応援に回るわけです。
家族を守るためには殺人さえ犯す。その非情さや残酷さと、その背景にある愛の危ういバランスというかコントラストが魅力だったのかと思うのですが、「最終章」ではその危うさが消え、物語も画面も平べったくなってしまったようで。
さらに言うと、マイケルの甥を演じたアンディ・ガルシアにしても、顧問弁護士を演じたジョージ・ハミルトンにしても、役者の顔が甘く、洗練されてしまって。感情を抑えられないソニーの血を継いでいるように見えないし、弁護士にも見えない。顔にリアリティーがないように思えて。
見応えのある映画なんですが、盛り上がることなく悲劇のハイライトシーンを迎えてしまいました。
ラストシーンなど「ゴッドファーザーPartIII」と異なる点はあるものの大きな違いを感じられず。
もう一度あの陰影を、コントラストを。そう思ってしまったわけです。