我慢できなかった女の記録:ロニー・スペクター自伝
通常、自伝は後半に行くほどつまらなくなる。
面白いのはたいてい成功するまで。
成功後の物語は多くの場合、売り上げを拡大したり、著名人と交友したり、いかに人生が充実したかを説明するだけで。
優秀な人間の順調な人生なんて、第三者にはちっとも面白くない。
「ロニー・スペクター自伝」(シンコーミュージック・エンタテイメント)が面白いのは、成功はほぼ冒頭に説明されて、成功後の苦難の歴史を延々と描いているからだ。
誰もが知っている「ビー・マイ・ベイビー」のモンスターヒットをめぐるエピソードももちろん面白いし、ジョン・レノンに口説かれたり、デビッド・ボウイと一夜を共にしたり、ゴシップ的な興味も満たされるものの。
閉ざされた人生から裸足で脱走
「ビー・マイ・ベイビー」や、ビートルズのラストアルバム「レット・イット・ビー」のプロデュースで知られるフィル・スペクターとの結婚生活の信じがたい苦難の連続は、興味を超えて、人間として「自由とは何か」を考えさせられる。
屋敷の中に文字通り幽閉され、交友関係も限定され、仕事は邪魔される。
音楽だけでなく全てをコントロールしないと気が済まないフィル・スペクターにがんじがらめにされる苦しみが、読み進めるほどにのっしのっしと押し寄せてくる。
屋敷を塀で囲われ、物理的に閉じ込めらたのは音楽好きの都市伝説通りだが、伝説と違って暴力を振るわれたわけではない。
恫喝と干渉と強要の中で、ロニーは妻として女として人間として、自分を見失ってしまうのだ。
ロニーは囚人のような生活の中で、否応もなく「自分とは何者か」を考えさせられる。
自分の人生を生きるために、「裸足で」屋敷から「脱走」する。
これは伝説通りだったのか。
再起も果たせず、養子との関係も築けず、ボロボロになったロニーを救ったのは、やはり愛なんだな。これは定石通り。
この自伝を特に印象付けるのは、再販に当たって追記されたロニーのあとがき。
フィル・スペクターとの裁判に勝ち、「ビー・マイ・ベイビー」の印税を受け取れるようになった(受け取れていなかったのだ)時、彼女は「女性」としての解放を感じるのだ。
「お金を勝ち取ることが別段目的ではなかった。目的は私を勝ち取ることだったのだ」
「音楽業界の中心に歌で存在し続けた女性たちが、同じ声を使って正々堂々と意見を述べている」
「どこを向いても、女性たちが、彼女たちを利用できると思っていた権力ある男性たちに立ち向かっていて、それらの男性がアウトを宣告されている」
「世界はシフトした。逆戻りはしないと思う」
「誰もが、70代になるまで、そしてその先も、愛することをやっていられればと思う。そうすればみんな、それぞれの目指すところにたどり着いた時、より生活が良くなって、より長生きして、より幸せになっているだろう」
長い引用だが、単なる成功者にはない、いや挫折の連続だったからこそ訴えられる、意味のある言葉だと思う。
『ビー・マイ・ベイビー』の女の子のベイビー
さて、一番感動して泣きそうになったのは別の部分だった。
ロニーが数多の男性遍歴の末、やっと落ち着いた男性(再婚した夫)との間に子どもが生まれた時のエピソードだ。
予定日よりずっと早く産気づいたロニーは、なんとトイレで赤ん坊を産み落としてしまう。夫はトイレから赤ん坊を救い出し、血だらけになりながら救急車を呼ぶ。ところが駆けつけたのは警察で、二人はパトカーに乗せられる。
二人を乗せた警察官は、母親が「ビー・マイ・ベイビー」を歌ったロニー・スペクターだと気づく。2人を励ます警官にロニーが「ありがとう」と礼を言うと、警官はこう言う。
「当たり前じゃないですか。『ビー・マイ・ベイビー』の女の子のベイビーを失うわけには絶対にいきません」
こんなに広い宇宙じゃないか。