「アメリカ人じゃなくて良かった」と思うとき(2005-05-06)
「アメリカ人じゃなくて良かった」
と思う瞬間がある。1つは滞在経験のある人から、食生活の貧しさを聞かされるとき。
もう1つは「プロム」を舞台にした映画を見たときだ。
「行進」を意味する「promenade」を語源とするらしい「プロム」は、言ってみれば「卒業パーティ」だ。その年の卒業生から男女の代表的人気者を選ぶ。各自パートナーを見つけ、男女カップルで出席するのがベスト。1人でも出席資格はあるが、それは「みじめなヤツ」だと告白するようなものだ。
米国には「プロム映画」とでも呼ぶべきジャンルが確実にある。
『アンタッチャブル』で知られるブライアン・デ・パルマ監督の出世作『キャリー』もその1つだ。いじめられっ子の主人公キャリーは、いじめっ子(その後有名になるジョン・トラボルタ!)の陰謀でプロムクイーンに選ばれる。そうとは知らず幸せの絶頂にいるキャリーの頭上に、豚の血がかけられる。怒り心頭に達した彼女は、自らの超能力で、会場内の人々を殺戮する――。
憧れの男性からプロムに招待されたキャリーが美しく変身していくプロセス、最終的に騙された(もしくは騙されたと思い込む)結末も、その後のプロム映画の原型と言える。違うのは、その凄惨な結末。ロックおたくでもある原作者スティーブン・キングも、きっとプロムに苦い思い出があるに違いない。
ここまでダークなのも珍しいが、プロムでのトラウマ(心に残る外傷)を描いた映画は70年代以降、綿々と続いている。
最近では『チャーリーズエンジェル』でも知られるドリュー・バリモアが主演した『25年目のキス』(1999年)がある。
これが真っ暗な映画だった。主人公ジョージーは記者に憧れる校正係。ある日彼女は、高校生として実際に生活し、その体験記をルポする企画を与えられる。実は彼女は、高校時代いじめられっ子だった暗い過去がある。最大の心の傷は、憧れの男の子にプロムへの偽りの誘いを受け、迎えに来た彼に卵を投げ付けられたこと。そんな彼女は、25才にして十代のころを取り戻すかのように、周囲に年齢を偽って2度目の高校時代を送るのだが――。
プロムに暗い思い出を抱えた高校生は多いんだろうな。いじめられっ娘ジョージー役、ドリュー・バリモアの怪演ぶりも、あまりにあまりなハッピーエンドにも唖然とする怪作。ただし、左のオタク女の子はめっちゃ可愛い。この娘も眼鏡を外して美しくなるという設定。米国人ってよっぽど眼鏡嫌いなのね。
ちなみに、左の女の子と不良少年が踊る場面のBGMは、英国暗黒ネオアコグループ、スミスの大名曲“Please Please Please(Let Me Get What I Want)”(お願いだから一生に1度くらいは欲しいものを手に入れさせて)。後で紹介する映画『プリティ・イン・ピンク』にもこの曲は使われていた
なんせ原題は『Never Been Kissed』、つまり「キスされたことがない」である。メジャー映画が題材にするほど、プロムは若者の大きな悩みのようだ。
『シーズ・オール・ザット』(1999年)では、ネクラな女の子を6週間でプロムクイーンに仕立てると賭けをした男の子の物語。初めは悪戯のつもりが、変身していく彼女(ほんとは美しい)に恋してしまう。が、それが賭けだとばれてしまい――。
1986年に大ヒットした『プリティ・イン・ピンク――恋人たちの街角』もプロム映画の1つ。貧乏な家に育った主人公モリーは、ピンクの服が好きな変わり者。そんな彼女に、金持ちでハンサムな男の子が恋をし、プロムに誘う。しかし、金持ち連中の仲間からいやがらせをされ、モリーでない人をプロムに招待。傷ついたモリーは、それでも胸をはって1人プロム会場に向かう。
金持ちの男の子にプロムへ誘われた貧乏な家の女の子。典型的プロム映画『プリティ・イン・ピンク』では「プロムに行かないと人生に何かが欠ける」なんて台詞まで登場する。
1987年に大ヒットした『キャント・バイ・ミー・ラブ』は、プロムを控えた高校最後の1年を人気者として過ごしたいがために、チアリーダーの女の子にお金を払って恋人を演じてもらうオタクの少年が主人公だ。
日本よりも開放的で楽しそうに映る米国の高校だが、実の姿は我々が思っているより暗いのかもしれない。クールで人気者なのは運動部の男の子とチアリーダーの女の子。成績が良かったり、アートや漫画が好きだったりするオタクは居場所がない。そんな階級社会が成立しているのかもしれない。
そういえば、1999年に世を震撼させた、米国コロラド州デンバーのコロンバン高校銃乱射事件の犯人2人は、「運動部のヤツは立て!」と言って銃を撃ち始めたと報じられている。『キャント・バイ・ミー・ラブ』には、チアリーダーの女の子と付き合い始めたオタクの主人公が、食堂でいつもと違う席に座ると、アメフト部の学生が近付いて来て「お前の席はこっちじゃない」と怒鳴り付ける場面がある。
もちろん、これはかなりデフォルメされた姿だろう。しかし、「日本の教育は×、アメリカの教育は○」という図式的な議論を目にする度に、こんな「プロム映画」を思い出さずにはいられない。