ためらう男が踊りに至る決意(2005-05-12)
男だけで踊る映画がある。
『フル・モンティ』?そう、炭坑の失業者が一念発起してストリップに挑戦する英国産コメディだ。
『プリシラ』?いいとこついてるよ。ゲイダンサーが興業のために大陸を横断するオーストラリア産ロードムービーね。
えっ『ウオーターボーイズ』?シンクロナイズドスイミングを文化祭で披露するために奮闘する高校生を描いた日本映画ね。あれもダンスの一種と考えれば確かにそうだ。
で、ふと思わないだろうか?時代も国も異なるこれらの映画では、男達は踊る前に必ずためらい、決意して初めて踊りに臨んでいることに。
『フル・モンティ』も『ウオーターボーイズ』『プリシラ』も、主人公が本番前にためらう。
妻の前でストリップを踊ることにためらった主人公が、本番直前に舞台袖でうなだれていると、息子に「男なら行けよ」と半ば命令されて決意し、舞台に飛び出す『フル・モンティ』。
好きな女の子が見に来ていることを知った主人公が、師匠に「だめなまんまで終わるよりいいだろ」と叱咤されてプールに飛び出す『ウオーターボーイズ』の展開は、もう同じと言っていいだろう。
愛する女を前に裸で踊ること、シンクロナイズドスイミングを披露することに対する羞恥心とためらい。日英の男たちのささやかなプライドが顔をのぞかせる。しかし、自ら率先して進めたプロジェクトを中途で終わらせてなるまじと、ぎりぎりのところで踊ることを決断する。そして女たちは呆気ないほど抵抗なく受け入れる。
『プリシラ』でも、ゲイの主人公は息子の前でドラッグクイーンの姿をすることを躊躇しながらも、一念発起して踊る(客席に息子の姿を見つけて気絶するのだが)。この展開、驚くほど似ている、っていうより同じだ。
しかし『プリシラ』には、自ら決断するゲイが登場する。主人公にショーへの出演を誘われた年老いたベルディナットは、愛人の死をいつまでも悲しんでいてはいられないと、その悲しみを紛らわすために誘いに乗る。彼はその道中、もう1度やり直してもいいと思わせる恋人と出会う。
いくらでもためらうがいい。問題はその後の決意なのだ。踊る男達を見て、僕はそう思う。
『ウオーターボーイズ』(2001年/日本)
『フル・モンティ』(1997年/米国)
『プリシラ』(1994年/オーストラリア)