チアリーダーから戦場カメラマンまでへの距離を測れない、「Civil War」が描いた現実
何に驚いたって、主演のキルステン・ダンストが老いを隠さず、疲れ切った表情を画面いっぱいにさらけ出したことでして。「米国が内戦を起こしたら」っていう架空の出来事を描いたポリティカルフィクション「Civil War」。あっ、アメリカ映画が変わってきたのかな、と。
映画そのものは実にオーソドックスなアメリカ映画だと感じまして。
行かなきゃいいのにわざわざやばい場所に入っていって、予想通り見るも無惨な悲劇に見舞われるのは「死霊のはらわた」や「悪魔のいけにえ」など米国ホラー・スプラッター映画と同じ構造。
「こいつやべえなあ」と思ってた奴が案の定やらなきゃいいことやって無用のトラブルに巻き込まれて「言わんこっちゃない」と呆れながらサスペンスに飲み込まれるのも常套手段か。
ワシントンD.Cまで車で移動する道中を描くロードムービーは「スケアクロウ」「ハリーとトント」、「レインマン」と枚挙にいとまがないわけで。最後に銃殺が待っているのは「イージーライダー」を想起させ。ラストの空虚なメディア批判は「リビング・オブ・ザ・リビングデッド」を思わせ。
白人とラテン系と黒人が主要人物っていうのも、人種多様性をルール化した米国らしさっていうか、尋常じゃないっていうか。「アジア人いねえじゃん」と思ってたら、ちゃんと中国人が登場しますしね。病的にルールを徹底する米国らしいかなと。
師匠が若者を育成していく成長物語も「ロッキー」「ベストキッド」「レオン」「キック・アス」など数多あるし。
が、しかし、女優が老いをさらけ出すのを見て、もしかしてアメリカ映画が変わってきたのかも、と思ったりして。
キルステン・ダンストとの出会いは2001年に公開された「チアーズ!」でして。若くて陽気で元気はつらつ。直面した問題も、持ち前の明るさと元気とで乗り越えていくアメリカらしいアメリカ映画だったわけですが。
ところが「シビルウォー」では、顔の皺まで隠さずドアップで映るわけです。しかも憂鬱な表情で。
あっ、美人女優が老いを隠さなくて良くなったんだなと。くたびれても、やつれてもよくなったんだな、と。
体の線を露わにしないパンツルックで、戦場をはいつくばり、銃弾を潜り抜け、髪をかき乱し、目を血ばらせてシャッターを押し続ける。
ビキニ姿で洗車するチアリーダーを演じた女優が、年相応の役を演じられる。そんな当たり前のことができるようになったのかなと。
米国の分断を描いたシリアスなポリティカルフィクションを見て思ったのは、こんなことでして。