エロと仮想旅行と時々秘密基地、極上の暇潰しだったはず「007は殺しの番号」
「謎」を追いかける「スパイ」が「エロい美女」と戯れながら「気狂い科学者」の「秘密基地」に忍び込む――。男の子が夢中になる要素でいっぱいの映画でした。「007は殺しの番号」。
恥ずかしながらショーン・コネリー時代の007シリーズを見るのは生まれて初めてでして。率直な感想を申し上げますと「なんてことない」。
謎も弱い。というか恐らく制作側も深い謎で観客をミステリーの世界に誘おうなんて思ってないでしょう。動機の弱い行動と必然性のないアクションと葛藤のない恋が、美しい観光地(ジャマイカ)で繰り広げられるだけ。ダニエル・クレイグ版の007シリーズに比べりゃ脚本もちゃちい。マット・デイモン主演の「ボーン・アイデンティティー」シリーズや「ワイルドスピード」シリーズなどのCGを駆使したカーチェイスに比べるとアクションも断然弱い。
ドキドキハラハラ、胸踊る一瞬も目が離せない超面白映画を期待すると肩透かしを喰らうんじゃないでしょうか。
が、しかし、バット、ハウエバー。ここには男の子を魅了する全てがあると思ったわけです。
なんだか知らないが、主人公は謎を追うわけです(まあ、スパイだからなんですが)。深い動機は知らないけど、何らかの使命を帯びて遠いどこかへ出かける(この映画ではジャマイカ)のです。
無用に美しい風景の中で、身の危険も顧みず怪物が出ると言われる立ち入り禁止の島に赴いてしまうと、そこでどういうわけだか異様に露出度が高いビキニの女性が海から現れるわけです。なぜだか理由は判然としないものの主人公はその美女に愛されると。まるで村上春樹の小説の主人公のように。
観光地で謎を追う主人公という「●曜サスペンス劇場」と非なるものの似ている構成。終盤でついに姿を現す気狂い科学者の悪役というのは、ハードボイルドから踏襲した村上春樹の小説と大同小異ですよね。
そしてバーン、秘密基地が登場する。「基地」。この甘美な言葉に心奪われない少年はいないでしょう。理由も動機も葛藤もいらない。とにかく主人公が秘密基地に侵入する。当然ながら的に発見される。追われる。危機一髪のところで誰かを助ける。敵は他愛もなく死んでしまう。脱出する。
日本公開は1962年(昭和37年)。少なくとも田舎の少年はビキニのグラマー美女なんて写真でも見たことがないはず。スーツ姿のスコットランド人が拳銃を振り回して走り回る姿に憧れたはず。
脚本が緻密でない分、何も考えずに見ていられる。2時間程度の時間潰しには打ってつけだったんじゃないでしょうか。
この後、さらに秘密兵器というさらに少年をメロメロにするツールを取り込んで、007シリーズは男の子たちを虜にしていったのでしょう。