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感謝だけだ。
本当に向き合えていただろうか。
私の長座し軽く開いた麓で泣く3歳の娘、1歳の息子。
泣き初めは息子に乗りかかられて娘が泣き始めたのが始まりだった。
そう思っていた、
それで泣いたのかと思ったけど、
どうも違う気がしてきた。
共鳴するように泣く2人にまた共鳴している気がする私。
動き泣き喚きながら転がりながら私の手麓に嫌がることもなくひたすら収まり続ける子どもたち。
1時間半程経っただろうか、
悲しいのか、いやそれとも、
もどかしいような、なにか伝えたいような、
悔しさとも思える雰囲気でずっと泣いてみせてくれた。
寂しかったのかな、
一緒にいる時間を作っていたけど、
遊ぶ時間も作っていたけど、
どこか本当にゼロ距離で触れ合えていただろうか、
親と子の関係から接していたのかもしれない。
人と人、いやそれ以上に、
魂、素粒子のレベルでこの子達の存在と本当に向き合えていただろうか。
これだけまじまじとこの子達を、人間を、命を見つめることがあったよだろうか、
忙しくしていなかったか?
何かに追われていなかっただろうか?
時間を気にしながら、時間が経つまでどうにかその場にいただけではなかっただろうか?
ずっと泣く2人の子どもたち。
そのまま寝入った子どもたち。
ただただ見つめながら包み込みながら過ごさせてもらった期間でした。
泣いていた本人たち以上に私の胸がスっとした。
ありがたい。
世の中にとってできることももちろん素晴らしいことだが、
この子どもたちや身近な家族もこの世の中の地球の一員だ。
感謝を述べたい。
この投稿が誰の為になるのかは分からない。
でも、誰かに届けたい。
そんな気持ちを持って書きました。
最後までお読み頂きありがとうございました。