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色々な色 〜光線とは

私は今どんな色ですか?

セッションをしていると、よくそう聞かれる。


見えないものが見える人はみなオーラが見えると思っているようだ。

だが、私は、肉眼でエネルギーの色を見ることはない。

自分自身の中心(ハート)にフォーカスして、ハートの中に相手を浮かべると、色を感じることがある。

それは見るよ言うより、感じる色だ。

色には本当に色々な種類がある。

絵の具や色鉛筆の色、印刷されたインクの色、印刷される前の、パソコン上の画面の色。カラーライトの色。

現実の世界そのものの色、
太陽の光を通してプリズム化されたガラスやクリスタルに現れる色。

それらは全て肉眼で見える色なので、視力が健全なら、全く同じように見えていなくても、他者とある程度共有できる。

いわゆるオーラが見える人は、ある意味身体から発せられるエネルギーの色を肉眼で見ている。
そのエネルギーの範囲は、機械などでも測定可能で、オーラを画像化するキルリアン写真というものもある。

それもあくまで目を開けているとき、2つの目で見えている色だ。

ある人達は、オーラは、肉眼で見ているのではなく、第3の目が開いていると見えるという。

わたしにはごく身近に普通にオーラが見える人がいるのだが、彼はいつも目を開けて見ている。
スマホ越しでも同じように見えるらしい。

そして私はというと、色を見る時は、いつも目を閉じる。

一体その違いは何なんだろう??

外の色と中の色。


外に見える色と中の色は同じ時もあれば違うときもある。

見えるってなんだろう?
私は何を見ているのだろう?

そんな自問が様々な出会いと学びの場をもたらし、ある時「光線」という色の概念と出会う。

色々な文献やセラピー本などで、しっくり来なかった全てが、ストンと腑に落ちた瞬間だ。

私が見ていた色は、「光線/Ray」なんだ!

では、光線とは何か?

光線は宇宙の源から放たれる創造の光
誰の中にもある光の本質である。

それは、生きとし生ける全てを形作る元になる
エネルギーでもある。

「創造の12光線」

だから内なる色を「見る」というより、「感じる」と表現したくなったのだ。

肉眼ではなく、肉体の五感に上手く接続できれば、光線の資質は個人差はあるが知覚可能で、更にその一部は左脳で言語化できる。過去にはアリス・ベイリーやブラヴァツキー夫人といった神智学の面々が、マスターガイドと繋がって文書化してきた。

ただ、その人が知覚できたエネルギーを言語化して普遍化しても、その色や、本質そのままを、「ね、この色でしょ?」というように共有することはできない。

その資質に触れるには、そのエネルギーそのものになること、それを生きる事が必要なのだ。

生きて、活動して、五感を働かせてこそ、光線は肉体とつながることができる。

感覚は、外の刺激の反応を感知するだけの機能ではない。


研ぎ澄ますと、さらに深い感覚を感知できる。
感覚の触手は、外側にだけでなく、内側にも伸ばしていくことができる。
そして光線という新しい世界に到達し、接続する。


そして、皆さん、

光線は自身を語るのだ。


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