私が表現したいこと
今までの投稿の整理と再定義
前回の投稿から随分時間が経ってしまった。
罪悪感から、何度か呟いてみたりしたが、せっかく始めたツールを上手く活かせなくて、内心もやもやしていた。
一番引っかかっていたのは、同時期に始めた「セラフィムの学校」との折り合いだ。ここで何を表現するのか、振り分け、整理が、私の中でできていなかった。
最初は今まで人生の過程で、光の存在たちと出会い共に歩んできたの軌跡を、自分のために残しておこうと思った。
それが少しでの他の方にのお役に立つのであれば、それもいいかなと。だが、チャネルとしてではなく、人間レベルで言語化を始めると、授業やセッションでガイドたちが伝えていることと、自分が思っていることの違い、境目があいまいでわからなくなってしまった。
仕事はセッションも講座も順調だ。
その忙しさにもかまけて、あっという間に1年がたった。
個と全体、プライベートと仕事、
現実とメタフィジカルな世界
身体は1つ
私はコンシャスチャネルなので、セッション中は区別のためにも、意図してメッセージ(光の同時通訳)の時は目を閉じ、人として話す時は目を開ける。
そこで、ここでは目を開けているときのKISAKOの人間としての視点と世界観を表現することとした。
KISAKOは人間だ。チャネラーというのは、様々な異世界の媒体となる仕事だ。かつては、チャネリング中は、人としての意識は邪魔せず眠っていてもらうトランスチャネリングが主流だった。
人としての意識の制限が固く、媒体するあちらの世界にフィルターを掛けがちだったのかなと思う。波長が違いすぎて、脳や体に負担をかけてたという話も聞いたことがある。
私も基本現実的なタイプで、非現実的な言動には違和感を感じるし、聞いたことのない物事は、とことん調べて確信が持てるまで信頼することはない。
おそらく催眠術に最もかかりにくい性質だと思うし、睡眠薬や麻酔も効きにくい。元は意識の制御が強く、知らない間に他者の言う通りなどもってのほか、根っから疑い深い性格なのだ。
そんな私がこの仕事をしているのだから、常に葛藤を抱えている。いや、抱えてきた。それがここ数年、世の中の流れが外から否応なしに内側に向かう頃からその考えが逆転し、長年の立証から、一気に信頼に傾いた。
そして、長年人生を背後から支えてくれた光のガイドたちの共同創造の場として、意外にもオンラインの形で「セラフィムの学校」をスタートした。
気づいたら、内なる会話を始めて40年が経っていた。