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少しアホな私でも分かるバガヴァッド・ギーター7章5節。クリシュナはすべての源!
バガヴァッド・ギーター7章5節
クリシュナはすべての源
クリシュナは、すべての源であり、
様々なエネルギーの源です。
前回の説明で詳しく載っていますので
チェックしてください。
それは、物質的なエネルギーと精神的なエネルギーに分けられ
この物質を楽しもうとしている生命体は、
一見、外側だけ見ると物質のようですが
心の奥に精神的なエネルギー、生命体がいます。
そのエネルギーもクリシュナから来ているのです
7章5節
第5節
apareyam itas tv anyāṁ
prakṛtiṁ viddhi me parām
jīva-bhūtāṁ mahā-bāho
yayedaṁ dhāryate jagat
訳;剛勇の士、アルジュナよ、私はそのほかに高位エネルギーを所有する。低位の物質自然の資源を利用している生命体は、この高位エネルギーに属する。
精神的エネルギー
前々回で
物質のエネルギーについて説明しましたが
それ以外の精神的エネルギー、
生命体、魂は精神的エネルギーですという事です。
目に見えるものも、見えないも、心や知識なども物質ですが、
生命体は、至高主の行為の室に属すると書かれています
クリシュナは、なぜこのような世界をおつくりになったか
元々は
どういうわけか私たち生命体が
物質を楽しみたいという事で
このような物質界が出来ました。
生命体はその物質界で物質的なことを楽しんでいるうちに
物質的な幻想の影響を受けて
「この物質は私のもので、私は楽しんでいて、私が結果を出しているぞ!」と
自分が魂であることを忘れて、
神様の事、クリシュナの事も忘れてしまいます。
ですから、自分たちがクリシュナのエネルギーという事も忘れています。
クリシュナはこの節で
「低位エネルギーも高位エネルギーも私のエネルギーである」と言っています。
私たち魂は、クリシュナのエネルギーなのです。
肉体は滅びても魂は滅びない
第13節
dehino 'smin yathā dehe
kaumāraḿ yauvanaḿ jarā
tathā dehāntara-prāptir
dhīras tatra na muhyati
訳;肉体をまとった魂は幼年、青壮年を過ごして老年に達し、死後捨身してほかの体に移る。自己の本性を知る魂はこの変化を平然と見る。
とあるように、カラダは滅びますが
魂は滅びません。物質的なものは一時的ですが
精神的なものは永遠です。
この永遠のエネルギーは
クリシュナと同じ高位エネルギーなのです。
全ての源、クリシュナのエネルギー
そのエネルギーによって私たちはここで生活していて
物質界で苦しんでいます。
楽しみ、苦しみを繰り返し、
少しずつクリシュナの事を思い出していきます。
そしてクリシュナの元に帰ることが出来るように
作られているのです。
まとめ
クリシュナは、すべての源であり、
様々なエネルギーの源です。
それは、物質的なエネルギーと精神的なエネルギーに分けられ
この物質を楽しもうとしている生命体は、一見、外側だけ見ると物質のようですが
心の奥に精神的なエネルギー、生命体がいます。
そのエネルギーもクリシュナから来ているのです
クリシュナは、すべての源であり、
様々なエネルギーの源です。
それは、物質的なエネルギーと精神的なエネルギーに分けられ
この物質を楽しもうとしている生命体は、一見、外側だけ見ると物質のようですが
心の奥に精神的なエネルギー、生命体がいます。
そのエネルギーもクリシュナから来ているのです
第5節 暗唱節
apareyam itas tv anyāṁ
prakṛtiṁ viddhi me parām
jīva-bhūtāṁ mahā-bāho
yayedaṁ dhāryate jagat
訳;剛勇の士、アルジュナよ、私はそのほかに高位エネルギーを所有する。低位の物質自然の資源を利用している生命体は、この高位エネルギーに属する。
前々回で、物質のエネルギーについて説明しましたが
それ以外の精神的エネルギー、
生命体、魂は精神的エネルギーですという事です。
目に見えるものも、見えないも、心や知識なども物質ですが、
生命体は、至高主の行為の室に属すると書かれています
クリシュナは、なぜこのような世界をおつくりになったかというと
元々は
どういうわけか私たち生命体が
物質を楽しみたいという事で
このような物質界が出来ました。
生命体はその物質界で物質的なことを楽しんでいるうちに
物質的な幻想の影響を受けて
「この物質は私のもので、私は楽しんでいて、私が結果を出しているぞ!」と
魂であることを忘れて、神様の事、クリシュナの事も忘れてしまいます。
ですから、自分たちがクリシュナのエネルギーという事も忘れています。
クリシュナはこの節で
「低位エネルギーも高位エネルギーも私のエネルギーである」と言っています。
私たち魂は、クリシュナのエネルギーなのです。
第13節
dehino 'smin yathā dehe
kaumāraḿ yauvanaḿ jarā
tathā dehāntara-prāptir
dhīras tatra na muhyati
訳;肉体をまとった魂は幼年、青壮年を過ごして老年に達し、死後捨身してほかの体に移る。自己の本性を知る魂はこの変化を平然と見る。
とあるように、カラダは滅びますが
魂は滅びません。物質的なものは一時的ですが
精神的なものは永遠です。
この永遠のエネルギーは
クリシュナと同じ高位エネルギーなのです。
全ての源、クリシュナのエネルギー
そのエネルギーによって私たちはここで生活していて
物質界で苦しんでいます。
楽しみ、苦しみを繰り返し、
少しずつクリシュナの事を思い出していきます。
そしてクリシュナの元に帰ることが出来るように
作られているのです。
クリシュナは、すべての源であり、
様々なエネルギーの源です。
それは、物質的なエネルギーと精神的なエネルギーに分けられ
この物質を楽しもうとしている生命体は、一見、外側だけ見ると物質のようですが
心の奥に精神的なエネルギー、生命体がいます。
そのエネルギーもクリシュナから来ているのです