note事始めと堀元見著『教養悪口本』を読んで
クォーターライフクライシス
30歳になった。
なったと言っても1年以上前だけども。
その時漠然とこんなことを思った。
あー、30にもなったのに俺何も知らんなぁ
こんなことを考えることをクォーターライフクライシスというらしい。最近Twitterで見た。
まぁ漠然とと言いつつ、ある程度理由は分かっていて、
この年代によくあるであろう子どもとの関係の中でだ。
歩き、少し話すようになってきて、
散歩の中で花や木などに注目するようになった。
野花や花壇を指しては、これはなに?と質問をしてくるのだがことごとく分からないので都度iPhoneで調べている。
その中であの小さいふわふわした花がシロツメクサだと知った。
ちょっと紫がかっていて綿っぽい葉を持つのはヒメオドリコソウというんだそうだ。
バカナスなんていう花も自然と咲いているなんて知りもしなかった。
知らないというより認識すらしてなかったように思う。
あたかも今年に入ってから急に渡来したのかと思った。
そんな経験を繰り返したのと、30という節目が合わさって世界に対する自分の無知を感じたのであった。
世界を見る解像度を上げたい
自分がどうなりたいか色々と考えたが未だピンと来るものは中々ない。
今の所の感覚だと「世界を見る解像度を上げたい」が近いんだけどなんか違うんだよなぁ。
解像度を上げるって所はいいんだけど、対象の表現がしっくり来ないのだ。
別に世界情勢に詳しくなりたいわけでもないし、日本の社会問題を深く洞察したいわけでもない。
というか大体そういう話って暗いから嫌だ。
テレビドラマも見れないくらい辛い展開が嫌いなのでむしろ知りたくないくらいだ。
と言いつつも解像度を上げるには色々なことを知る必要があるだろうとは思っていたので読書を始めた。
元々小さい頃から読書は好きだったし、社会人になってから全く読まなくなったわけでもなかった。
ただ自分の中での読書は「何か知識や知見を得るもの」ではなく、「活字に目を滑らせて楽しむもの」だった。
常に何かしらの活字を読んでいたくてYouTube見てる間もTwitterを眺めていたり、電車ではずっと広告の文字を追いかけてるみたいな人いないだろうか?
活字中毒といえば読書家のように聞こえるけど、全く頭には残ってないのだから本当にただの依存症だ。
少なくとも今までの読書はそんな感じだった。
感想とまとめと咀嚼
それを変えようということでアウトプットを少しずつ始めることにした。
まずは読書メーター。
昔から読んだ本の記録だけはやっていたけど、感想は投稿していなかったのでそれをやることに。
内容のまとめはそこそこに読み終わってすぐの所感を書いてみている。
次にノート。noteじゃなくて紙のノート。
これに内容についての簡単なまとめを書くことにしている。
今まで字を撫でていただけなので、本の内容を誰かに伝えることが出来ずに本の話を積極的に出来ないことがコンプレックスでもあった。
全ての内容をまとめるというより誰かに話すときを想定して自分の頭を整理する意味合い。
ほんとはnotionとかにまとめようとしたけど図とか書きたいし、本のまとめなんて誰かに公開するものでもないかなと思い紙のノートに落ち着いている。
そしてこのnote。
ここでは読んで自分が考えたこと、感じたことを書く場にしようかなと思っている。
これをするには本を自分に落とし込み、咀嚼する必要があるはずなのでより知識知見につながるんじゃないかなという魂胆である。
これも別に紙のノートでもローカルのメモ帳でもいいんだけど、この時点で1200文字以上書いている。
そもそも誰に見られることを意識しないならばこんなに文字を書けない。
取り急ぎは自分のための文章として書いていきたいと思ってるので最初から矛盾しているが、徐々に読んでもらえる文章に出来ていけたらいい。
『教養悪口本』を読んで
さてこのnoteを書こうと思いはじめたのは年末より前だが、このタイミングで重い腰を上げたのは新年というのもありながら、堀元見著『教養悪口本』を読んだからだ。
hontoから引用
知性とユーモアが宿れば、悪口は面白い。「訓練された無能力だ!」「鹿鳴館精神を身につけてる」「1年分のシナモンを全部燃やす皇帝かよ」など、モヤモヤを教養に変える38のロジカル巧言を紹介する。【「TRC MARC」の商品解説】
インターネットに氾濫する悪口がつまらないのは、そこに知性もユーモアも宿っていないからだ。
「こいつ無能。死ね」というツイートを見て、楽しい気分になる人はいない。
「こいつ無能」と言いたくなった時は、代わりに「植物だったらゲノム分析されてる」(本書14ページ)と言おう。
周囲も「えっ、何? どういうこと?」と興味を惹かれるだろうし、生命科学の発展に思いを馳せる良い機会になる。
不快さを、楽しさや知的好奇心に変えられるのが、「正しい悪口」の効能なのだ。
僕はこれを「インテリ悪口」と称して、インターネットに書き溜めてきた。<略>
皆さんが何かをバカにしたくなった時、本書を活用してほしい。
僕が可能な限りの知性とユーモアを詰め込んだ「インテリ悪口」を使ってほしい。
嫌なことがあった時、インテリ悪口を使うことで、溜飲も下がるし、笑い飛ばすこともできる。ちょっとだけ勉強にもなると思う
(「はじめに」より)【商品解説】
この本を読んで冒頭に書いたなりたい姿の輪郭が少し見えた気がする。
つまるところ「知識と知性とユーモア」がほしいのだ。
社会情勢に鋭く切り込みたいのではなくて、世の中の色々なことにアンテナを広げながらそれを自分のものとして溜め込んでユーモアに昇華したいんだと思う。
例えば本の中で紹介されていたものの中でお気に入りの一つは「コーカサスバイソンじゃないんだから」というものだ。
これは大した能力がなくても上司に気に入られて生き残っているような社員に対する悪口だ。
まぁこれだけじゃなんのこっちゃか分からないが、コーカサスバイソンの歴史を紐解くとスッキリこの二つがつながって気持ち良い。
コーカサスバイソンの歴史そのものも面白いけど、そこから日常に当てはまる発想が出てくるのは物事の本質部分の理解が深いからなんだろう。
残念ながら人に悪口を言うつもりはあんりないので活用する機会はない気がするけど、ちゃんと自分の知識にしいてる感じに魅力を感じる。
他にも「アリストテレスの講義の冒頭じゃないんだから」「1年分のシナモンを燃やす皇帝かよ」らへんがお気に入り。
特にアリストテレスの話は知識云々ではなく、読んだ時の感想からの派生であることが、筆者の感度の高さみたいなものを感じられて羨ましい。
受験生の頃、世界史が好きだった。
ただそれは知識として溜め込んでいるだけだったので、その知識と自分自身は断絶している感じだ。
本当はそれを自分の中の知性の一部として、ユーモアを持って生活に取り入れたい。
そうしていけば色んな知識がつながってより世界を見る解像度が上がるんじゃないか。
そんな感じ。
多分、そういうウィットに富んだ人のことを指す言葉もあるんだろうけど適切な言葉を知らない。
教養悪口の著者のように色んな本を読む中でどこかで出会いたいな。
3日坊主になりませんように。
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