感情の源泉
ふいに怒りを覚えたことがありました。
感情が波立つことは珍しいです。感情が揺さぶられる時は、それだけ自分の琴線に触れるということでもあります。ですから記録として残しておこうと思いました。
出来事自体は大したことではないので、自分がなにに対してそんなに憤ったのかはわかりませんでした。しかし、
具体的には書けないので、フィクションのたとえ話で表現します。
講演会で「お気軽に質問をどうぞ」と言われたので質問をしたら、答えてもらいました。そこまではいいのですが、講演会の終了後に主催者が寄ってきて、「あの質問と回答を書き起こしてメールで送ってよ」と言われたのでした。
後から思い返すと、「なぜ」とは思いますが、それほど怒りを覚えることでもありません。けれど、その瞬間の僕は、自分の怒りを表現しないのに必死でした。
事前の説明もなかったことと、人の手柄を自分達のものにしようとする魂胆に怒りを覚えたのでしょう。そして、さらに言えばそれが頼む姿勢ではなく、さも当たり前のように言われたからでした。
何事も1人の力で成り立つものではなく、色んな人の力で成り立っています。それぞれの貢献や努力を横取りするような真似に僕は憤るのだと思いました。
怒りに限らず喜びとかもそうですが、自分の感情の源泉を探る行為は自己理解を助けてくれます。そうやって、自分と折り合いをつけていくことで、身の振り方もわかっていくのでしょう。
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