無闇に対立しない働きかけ
正論で論破しても、相手は決して動かない。なぜなら、相手の痛いところを突くからだ。自分の急所を狙ってくる人間を信じられるだろうか? むしろ、身を固くしてこちらの言葉を拒絶するようになってしまうはずだ。
論破することが悪意からくるものであるならば、特に言うことはない。だって、相手を不快にし、自分が優越感にひたれる。その目的は果たせている。
けれど、もしそれが善意からくるならば、一番痛いところはむしろ避けた方がいい。少し離れた、でもつながっているツボを探して、押すのだ。そうすると時間とともにじわじわと効いてくる。
だいたい、表面的な言葉でやりとりされている情報は本質とどこかずれている。つい先日もそんな場面に出くわして、信号のたとえた話をした。
信号の「進め」の色は「青」だ。少なくとも僕はそう思っている。ただ、中にはあれを「緑」だと感じる人もいる。そして、見え方が違うとしばしば水掛け論が生じる。
「青だ」「緑だ」とお互いが自分の見えている世界の正しさを主張する。
対立が生じるのもだいたいがこんな構造だ。役割や立場、考え方の違いによって視点が異なり、それがぶつかりあう。
でも、大事なのは「信号の色が何色か」なのだろうか?
いや、そうじゃない。青でも緑でもいいから、その色の時には信号を渡っていいということなのだ。実は自分がこだわっていることは瑣末なことに過ぎないのかもしれない。
こういう話をすると、その場にいた人達ははっとしていた。
それぞれの持っているこだわりを否定するのではなく、別の方向からアプローチしていく。真正面からぶつかろうとするから、反発も強くなる。相手の動きたい方向をなるべく阻害しないようにしながら、そっと手を添える。
その一見効果のなさそうな働きかけこそが大事なんだ。
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