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「だれか」はいないし、「だれでもいい」はずがない
だれかいい人いないかな。
だれか一緒にお出かけする友達いないかな。
そうやって都合のいいだれかを求めてみたところで、絶対にその人は現れない。だって、その「だれか」は存在しないのだから。いもしない人を思い描くのはただの妄想だ。
逆に、あなたは「だれか……」と同じ言葉をかけられて、反応するだろうか?
進んで手をあげる人は相手に困っていないだろうし、そもそもそんな悩みすら懐いていないだろう。
全体に向けて投げかけられた言葉というのは得てして反応しづらいもの。たくさんの反応を期待して、多くの人に投げかけて誰にも受け取ってもらえないことなんて珍しくもない。
それだったら、「だれか」なんて言わずにちゃんと名前を呼び、意識と身体をそちらに向けて投げかける。そうすれば、「はい」でも「いいえ」でも最低限の返事くらいは返ってくるだろう。
本当は「だれか」に届けたいだなんて思っていないんじゃないだろうか?
言葉を発する時に、きっとだれかしらを頭の片隅で思い描いているはずだ。それを伏せる理由は、拒絶されるのが怖いのかもしれないし、周囲の目が気になるからかもしれない。
けれども、結局のところ無視されたらされたで、どうせ傷ついてしまうのだろう。だったら、結果は大して変わらない。
「だれでもいいから」と言って、苦手な人が反応したらそれを素直に喜べるのだろうか?
僕は自信がない。この文章にしたって、名も知らぬ「だれか」になんか届かなくていい。
あなたに届いて欲しいのだ。
僕の言葉は、あなたに届いていますか?
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