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海外生活の記憶 米州2010’s 12 フロリダ州
フロリダ半島の最南端キーウェストはキューバのすぐ北170キロくらいにあります。前回書いたバハマはその中間を少し東に行ったところですね。ヨーロッパ人がカリブ海からメキシコ湾に入るにはキューバの北か南を通ることになります。
このフロリダ州の最南端、そしてアメリカ合衆国にとっても大陸としては最南端にあるキーウェストに興味があったので行って見ることにしました。島と島をつなぐ幾つもの橋があり、長いものは7マイル・11キロの橋もあります。その景色だけでも絵になり一見の価値があります。マイアミ空港からキーウェストに行く途中にあるエバーグレーズ国立公園に立ち寄りました。
この公園は自然のワニや野鳥が生息する大湿地でフロリダのイメージそのままです。早速エアボートに乗り込みます。ボートの後ろにある大扇風機がブンブンうなりをあげます。さあ出発です。
大自然の中を結構なスピードで走り抜けます。こんなことして大丈夫なのと思ってしまうほどワイルドです。
大きな鷺のような野鳥がたくさん生息しています。もちろんそういう場所ではエアボートもゆっくりと進みます。
そしてワニもニョコっと出て来ます。この地域はスペイン人が来た時にはどうだったかと気になります。メキシコやペルーからスペインに金銀を運ぶ船が必ず通りそうなのでフロリダ半島の南部には昔から何かあるのではと思いましたが、19世紀まではインディアンが住んでいただけみたいです。もちろんスペイン人の探検隊は何度か探索していたようですが、土着インディアンが凶暴では入り込めなかったり、利用価値が少なかったのかも知れません。
こんな細い水路も進んで行きます。同じ国立公園の中にワニセンターみたいな施設がありました。
凶暴と思われるワニも割と簡単に扱っています。頭をワニの口の中に入れたりしてサービス精神旺盛です。希望者はこんなふうにワニを持つことも出来ます。
調べるて見るとスペイン人レオンがフロリダ半島にたどり着いたのは1513年と言われていて、コロンブスが西インド諸島に着いて20年ほどたった頃には今のアメリカ合衆国に到達していたことになります。ただし、レオンが2回目の探検で殺されたことから、それ以降はこの地域には余り近づかなかったようです。
フロリダ州にはワニが普通に沢山いて上の写真はケープカナベラルで撮った写真ですが、看板にはワニにエサをあげないでくださいと書いてあります。そんな人がいるのでしょうかね。
エバーグレーズ国立公園を出るとキーウェストに向かってルート1号をバスで走ります。いよいよ長い橋が始まります。でも橋を渡ると言う感じは全くなくて両側に海が見える道をひたすら走っているイメージです。ちなみにルート1号線はキーウェストからニューヨークまで続き最終的にはカナダ国境まで繋がっている米国で一番長い道路です。
スペイン人が1559年フロリダ州北部ペンサコーラに入植したのがアメリカ合衆国でのヨーロッパ人の入植の始まりだと言われています。(ピューリタンの北米移住はまだまだ先の1620年です。)ペンサコーラという町はメキシコ湾内にありフロリダと言っても北西端、アラバマ州に近いところですから、フロリダ半島南部はやはり白人にとっては住みにくいところだったのでしょう。ちなみにこのペンサコーラという町はたった2年で放棄され、入植者たちはフロリダ州北東部のジャクソンビルやセントオーガスティンなど直接ヨーロッパから来られる大西洋岸へと移って行きました。1585年から始まったイギリス・スペイン戦争はカリブ海にも飛び火しセントオーガスティンをイギリスのドレーク船長が焼き討ちしたという記録も残っています。
この長い橋が7マイル橋かも知れません。道が曲がると自分たちが橋を渡っているのだと実感出来ます。これらの橋はもともと1912年に完成した鉄道橋が始まりなのです。鉄道橋が1935年のハリケーンで流された後、放置されていましたが、フロリダ州政府が買取り、大戦後に残っていた基礎部分の上に自動車道路を作ったそうです。実はキーウェストのあるしまなみは珊瑚礁が隆起して出来たらしいです。それを聞くとちょっと不安になりますが。。。
1763年にイギリスはキューバのハバナと交換でフロリダを手に入れますが、この頃のフロリダはほとんど北部地域のことだったようです。エバーグレーズ地域には環境に適合したインディアンが昔から住んでいましたが、北部地域にいたセミノール族はこの頃にスペイン人と共にフロリダ半島南部に下りて来たもののキューバには渡らずこの地にとどまった人が多かったようで、その後そのセミノール族が何度かアメリカと戦うことになります。
アメリカ独立戦争後のパリ条約ではアメリカ側についたスペインがフロリダを取り戻しますが、結局1821年にはアメリカに売却することになります。
19世紀末にはマイアミからニューヨークまで鉄道が完成し、この地域で盛んになった柑橘類の集積地としてマイアミは発展し、キーウェストもキューバからの砂糖やタバコの取引で潤います。そんな訳で1912年にはキーウェストまで鉄道が伸び砂糖の一貫輸送が出来るようになったのです。
キーウェストには第二次世界大戦より前にヘミングウェイが住んでいたことがあり、今でもその家が保存公開されていました。戦前のキーウェストはキューバの雰囲気がそのまま残っていてそんなキーウェストをヘミングウェイはこよなく愛したそうです。実はヘミングウェイはキューバにも20年も住んでいるし、スペインの内戦を舞台にした「誰がために鐘は鳴る」を書くなどスペイン文化が大好きだったのです。
このバーにもヘミングウェイが良く来ていたそうです。
ホテルも昔のままのようです。
もちろん海も綺麗です。
キーウェストはキューバ危機があるまではキューバへの窓口のような役割でキューバに行かなくてもキューバの雰囲気を味わえる粋な街だったのです。
現在、米国の柑橘類生産の3分の2がフロリダ州になっています。それも南部がその中心です。グレープフルーツはフランス人に入植者が始めたと言われていますが、オレンジは間違いなくスペイン人が始めたのだと思います。何しろアンダルシア地方では街路樹までオレンジの木ですし、バレンシア・オレンジは今でもでも世界中で有名です。
昔ながらの建物では足らないのか海岸にはアパート風の別荘が見られます。
柑橘類の集荷基地としてマイアミは繁栄し、リゾート地としても人気が出ますが、2010年頃のマイアミは治安の悪いことでも有名になっていました。キューバ危機以降にマイアミに逃げて来たキューバ人も多く、貧富の差が広がり社会不安の原因となっていたのです。
上の写真はマイアミの少し北にあるフォートローダーデールに行った時のもので、海岸線に沿って住宅街が出来ています。
全米の金持ちが引退するとシアトルやフロリダに住むのがトレンドになっていましたが、マイアミより安全なこの地域に住む人も多く、富裕層につられるように、この地域に金融会社の支店を置くところも出て来ました。
素敵なレストランもあり、仕事とリゾート気分を同時に味わえる素晴らしい街です。
私も出張で来たときに背広しか持って来なかったことを悔やんだものでした。
昔はフロリダ州は北部が先進地域で今でも州都はタラハシーという余り知られていない都市にあります。ハリウッドが映画のメッカになる前はジャクソンビルに30以上の映画スタジオがあったそうですが、今は全てなくなり、軍事都市として生き残っています。
一方、マイアミのみならず中南部地域にはディズニーワールドがあるオーランドやケネディ宇宙センターのあるケープカナベラル、スポーツが盛んなタンパベイなど多彩な街があって人を引き付け、フロリダ州を支えています。多分ほとんどの人がフロリダ州の州都はマイアミだと思っているのではないでしょうか。タラハシーなんて今回改めて調べて見るまで私も知りませんでした。