見出し画像

山鉾の空かき回す暑さかな

今日の絵は猫にも見えますが、もちろん子犬です。

相変わらず暑い日が続きます。祇園祭の前祭が17日に行われ、都倉俊一文化庁長官も初めて山鉾巡行に参加していました。スカイブルーの裃がとても良く似合ってご満悦のようでした。と言っても私はテレビで観覧です。京都の暑さは有名ですが、ちょうどこの季節に頂点を迎えるようです。当日は最高気温37.7度で熱中症で運ばれた人が午後3時の時点で26人いました。昔は京の通りもコンクリートではないので反射熱もなくビルのエアコンから出る排気熱もなかったのでもう少し涼しかったのでしょうね。

最近は江戸時代の鉾が復活したり、飾りの絨毯が新調されたりと益々祭りが充実しているようです。しかし戦後の昭和22年に復活した祇園祭の写真を見ると市民は沿道にいて進駐軍に守られるように四条通りを進む山鉾巡行は長刀鉾と月鉾のたった2台だけだったようです。ところが昭和27年の写真を見ると四条通りは車道も人で埋め尽くされ、まるで人の海に山鉾が浮かんでいるように見えます。この時期は交通整理などはなかったのでしょうか?沿道で巡行を眺めるのでなく市民全員が祭りに参加しているようです。この頃は四条寺町で山鉾の辻回しが行われていたようですね。しかも北に向けてではなく南に下がり松原通りを巡行していました。昭和31年からは寺町通りを北向きに上がり現在と同じように御池通りを左折するようになりました。でもよく考えると寺町通りは皆さんご存知の通りとても狭い通りで今ではアーケードがあってとても山鉾が巡行出来るとは思えません。でも古い写真の一つにはすき焼きの三嶋亭の前を進む函谷鉾が写っていて幅はぎりぎりですね。もちろんアーケードなどあるはずはありません。そう言えばこの名残なのか後祭の山鉾巡行のあとに出る花笠巡行は今でも寺町通りで行われていますね。

寺町通りから河原町通りに経路が変わったのは昭和36年の高度成長期ですが、当時はまだ地下鉄は存在せず河原町通りには市電が走っていました。そのせいかなのか昭和41年には元々あった二つの祭り(正確には神様のお迎えとお見送り)前祭と後祭が一本化されてしまいます。それが伝統に合わせる形で復活したのは平成26年(2014年)のことでした。世の中が落ち着いて来ると色々なところで本物指向、原点回帰となって行くようです。

山鉾の空かき回す暑さかな

季重なりですが、敢えて挑戦しました。もちろん「暑さ」が主役で山鉾は祇園祭の真最中ですよと言う情報提供です。空高く突き出た鉾の先は山車が動くに連れてゆったりゆったり回るように揺れてまるで熱い空気をかき回しているようです。



いいなと思ったら応援しよう!