海外生活の記憶 米州2010’s 30 カナダ・オンタリオ州ナイアガラの滝
18世紀にイギリス領となったオンタリオは当初、英領ケベックの一部でしたが、アメリカ独立戦争によりカナダに逃げて来た王党派アメリカ人が大量にオンタリオに移住した為、人口が一気に増加しました。その為、1791年にオタワ川の西側をアッパーカナダ(オンタリオ州)、東側をロウアーカナダ(ケベック州)として分割統治することにしました。
そしてアッパーカナダの首都になったのが、オンタリオ湖のナイアガラ川河口にあったニューアーク(現在のナイアガラ・オン・ザ・レイク)という街でした。今はオンタリオ湖畔の別荘地として人気の場所です。古い町並みにお花が一杯というおしゃれなところです。
このホテルは19世紀末に開業した由緒あるホテルです。
ヨットでオンタリオ湖をセーリングするなんて最高ですね。
ただニューアークはアメリカに近い為、しばらくしてオンタリオ湖対岸のヨーク(現在のトロント)に首都を遷しました。それでも1813年にはアメリカによってヨークの街は占拠略奪されました。(ヨークの戦い)その後再建されたヨークは1834年にトロントと名を変えます。当時の人口はたったの9000人だったそうです。
トロントにはこの後、アイルランドの飢饉の影響で多くの移民が流入し、1900年前後からはイタリア、ドイツ、ユダヤ人そして中国、ロシア、東欧の移民が続き1960年代には人種別移民政策が撤廃されたことから南アジアからの移民も増え、1951年に100万人、1971年に200万人を突破し80年代にはついにモントリオールを抜きカナダ第一の都市になります。今では白人は半分以下となり、トロントは稀にみる多民族都市になっているのです。
トロントのランドマークであるCNタワーは70年代に完成した高さ553メートルの電波塔で2007年にドバイのブルジュ・ハリファという828メートルのビルに抜かれるまでは世界一高い人工構造物だったのです。
高過ぎて霧で遠くが見えない日も多いようです。
足元には透明アクリル板ののぞき窓があって珍しい眺めが見られます。
次はまだ行ってない人の為にナイアガラの滝の紹介です。ナイアガラの滝はオンタリオ湖の南西にあるエリー湖から北に向かって流れるナイアガラ川にあります。
上の写真の奥の方が東で川上つまりエリー湖側になります。そして手前左にナイアガラの滝のカナダ滝があります。下の写真がカナダ滝の馬蹄形部分で、ここで90度曲がります。
曲がった先、橋の手前にアメリカ滝があります。
近くで見たアメリカ滝がこちらです。
そしてカナダ滝の近影がこちらです。
余談ですが、オンタリオ湖の水面は海抜75メートルです。ケベック州を通って大西洋に出るセントローレンス川は1200キロの長さがありながらその間に75メートルしか下がらないのですね。
船に乗って滝の下まで行くツアーもあります。
静かに見えるアメリカ滝も近くで見ると流石に迫力があります。
カナダ滝では滝のしぶきで殆んどの視界ゼロです。
その状況を上から見るとこんな感じで滝に突入しています。
やはりカナダ滝の勝ちですね。
カナダ滝は道からすぐ近くのところまで水が来るのです。下の写真では多分3メートルくらいしか離れていないと思います。
もうひとつカナダ滝をじっくり味合う方法として滝の中腹と裏側へ行くツアーがあります。下の写真は滝を横から見ているところです。
地下のトンネルを通って滝の裏側から覗くとこんな感じで、穴の向こうの白い部分が滝です。手前は氷がありますが、これは冬に行った時のものです。
氷が張っていない窓からはしっかりと滝の裏側を見ることが出来ます。
もう一つの滝の味わい方はこのタワーに登って全景を眺めることです。タワーの下にはレストランがあって滝を眺めながら美味しい茹でロブスターが味わえます。
タワーの上から見るとカナダ滝とアメリカ滝がどうやって二股に分かれ滝となるかがわかります。
オンタリオ州の西側にはマニトバ州、サスカチュワン州、アルバータ州というプレーリー3州があり、広大な平原が続きます。マニトバ州は1870年にカナダ自治領に参加、他の2州は1905年と20世紀になってからカナダの州になっています。人口は3州合わせても700万人に届かず、オンタリオ州の1400万人、ケベック州の800万人には及びません。残るはブリティッシュ・コロンビアの500万人、その他の4州・3準州で300万人となります。ロシアに次ぐ国土面積世界2位のカナダですが人口では3700万人と世界39位でスペインよりも1000万人も少ないのです。まだまだ移民を受け入れても大丈夫そうです。