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高野山
高野山を詠うのは10年早いとは思いますが、10年経つと死んでしまうので敢えてド素人の今から無謀な挑戦をします。それも一句で表現出来るようなところではないので春夏秋冬で練習です。
高野山朝餉の春菊ほろ苦し(季語:春菊・春)
(しの添削後)高野山膳の春菊ほろ苦し
高野山救いの神や夏木立(季語:夏木立:夏)
高野山秋澄む中門あか眩し(季語:秋澄む:秋)
霜月もかわることなし生身供(季語:霜月・冬)
高野山は皆さんご存知の通り、町ごとが神域のような雰囲気の宗教都市です。絵はまだ下手なころのものですが、歩いて高野山に着くとこの門が迎えてくれます。宿坊に泊まり、精進料理をいただき、朝の勤行をする、本当に心が洗われる気がします。私が行ったころにちょうど中門が再建され、その姿は眩しいばかりでした。そして奥の院は現世ではなく、あちらの世界を感じさせる特別な空間で毎日2回お坊さんが列になって弘法大師さまの食事を運んでいます。これを生身供といいます。今だ弘法大師さまは生きてお祈りを続けているのです。