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萩の街並

萩焼の店出てコートの襟たてる

(しの添削後)萩焼の店出てコートの襟たてり

                一角 作

そのまんまですね。散文的というか、散文そのものです。気を取り直してお硬いやつをひとつ。

学びおる志士を見守る萩の城

(しの添削後) 秋深し志士を見守るそうせい候

先ず萩は場所の名前なのでやっぱり駄目でした。萩が繁ったお城と思ってくれないかなと思いましたがやはり撃沈でした。そして城から見守るそうせい候を城に見立てのですが、完全に一人よがりでした。                   

明治維新の主役となった人たちの多くは松下村塾の塾生でしたが、決して身分の高い藩士ではなく、ほとんどが下級武士や農民でした。長州藩の藩主・毛利敬親は家柄や年齢に拘らずいろいろな人の意見を聞き、藩政にも参加させるなど革新的な藩主でした。部下の進言にはいつも「うん、そうせい」と言ったという逸話もあるくらいで「そうせい候」と呼ばれていました。そんな藩主がいたからこそ明治維新は成し遂げられたのであり、敬親は萩城で志士の働きを暖かく見守っていたのかも知れません。

萩は秋の季語ですが、こんな使い方は多分、駄目なのでしょうね。駄目です!

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