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熟達するとどんどん抽象的になる
初学者のためライティング技術の本は貴重であり、私も何冊もお世話になってきた。だからそのような本を書いてくださる方々には感謝しかないし、その方々を貶める意図もまったくないのだが、一方である程度以上ライティングに熟達すると、あんなに詳しく教えられなくなってしまうのも事実である。
たとえばテン(、)の打ち方というのは、重要な技術である。そして、初学者向けの本では、10を超える原則が書いてあったりする(『日本語の作文技術』では、それをわずか3つぐらいにまとめているが、あれは初学者向けとは言いにくい)。覚えるのもたいへんなので、初心者のうちは迷うたびに参照して、徐々に身につけていくことになる。
ただある程度熟達すると、原則はたった1つになる。
間違ったところにテンを打たない。
これに尽きるのである。だから推敲や校正の段階ですることは、間違ったところにテンを打っていないかチェックし、直すことになる。
間違ったところに打ったテンは、心を無にして読み返せば、自ずと見える。そこでつっかえるからだ。無心で読めば、違和感が立ち現れるというイメージだ。テンに限らず、間違いが残るのは、雑念を持ちながら推敲や校正をしているからである(そして私はまだまだ雑念だらけだ)。
でも、ライターになりたての人に、これでは不親切であろう。まるで禅問答だ。
逆にこの域に達したら、一流とまでは言えないが、ライターとして一人前になったと思ってよいのではなかろうか。